• 80年代アイドルを紹介しています。

北岡夢子

本名:中山貴久子
1971年2月2日生まれ
東京都台東区出身
A型
デビュー曲:「憧憬(あこがれ)」
(1988年4月6日)
事務所:サンミュージック
レコード会社:フォーライフ

1985年、サンミュージックオーディションにて松田聖子の「七色のパドル」を歌い合格し、事務所入り。
87年にドラマ「こんな学園みたことない!」の出演を経て、88年4月に「憧憬(あこがれ)」でアイドル歌手としてデビューする。
大手事務所に所属のため、デビュー時には少なくなりつつあった音楽番組に出演する機会も恵まれ、アイドル雑誌にも大きく取り上げられた。

細いがよく伸びる煌びやかな歌声、表現力も兼ね備えた確かな歌唱が魅力であった。

しかし、デビュー曲の売上げは今ひとつ…。

事務所から(夢子の“夢”より)「ムーちゃん」とニックネームをつけられたが、浸透するには程遠い状態であった。

「憧憬(あこがれ)」(88/オリコン最高65位・0.7万枚)…♪クラスも名前も分かっているのに 声も掛けず2年が過ぎた…女子高生の繊細な初々しさが表現できている名曲です同期の吉田真里子のデビュー曲「とまどい」は当初「あこがれ」というタイトルで発売予定だったが、この曲と被るということで変更されたという噂。ちなみに同日に西田ひかるがデビュー。

その後、クオリティの高い楽曲を発表していくが、売上げは芳しくはなかった。

スレンダーで雑誌のグラビアが話題になることも多かったが、それも歌謡曲愛好家での中で留まり、一般的な人気を獲得するには繋がらない状態であった。

「告白」(88/オリコン最高39位・1.0万枚)…♪あ~い 気づいてください…というサビ始まりが、聖子チャンの「青い珊瑚礁」を髣髴させるような爽やかな楽曲。
「恋心」(88/オリコン最高29位・1.0万枚)…デビュー年の秋リリースの楽曲といえば、新人賞レースの勝負曲であるが、同じ事務所で演歌歌手の大和さくらのデビュー曲「王将一代小春しぐれ」がヒットすると、事務所は大和さくらを推すようになったという噂…。ジョイサウンドのカラオケにも入っています。

1年目のプッシュ体制が終了すると、マイナー番組への出演が多くなるが、ファンの中で名曲と言われる「夢をあげよう」をリリース。

「夢をあげよう」(89/オリコン最高28位・1.0万枚)…なだらかなメロディで、一歩間違えると演歌?透明感のある歌声で、切々と応援ラブソングを歌い上げています。DAMにカラオケ入ってます。デビュー時と比べると、シャープになり、キャンディーズのランちゃんに似てると言われてましたネ。スナックのママみたいだっていう声もありましたが…(汗)そういえば、実家は酒屋サンでした。
「もういちど逢えたら」(89/オリコン最高43位・0.7万枚)…♪もういちど逢えませんか~ 彼女の煌びやかな高音が活かされた楽曲。スレンダーなので、タイトな衣装もバッチリ着こなしています。ボディコンが流行っていた頃ですネ。こういうスタイルでメディアに登場することが多かったですね、彼女。

90年にはドラマ「いけない女子高物語」に出演し、小高恵美や若林志穂、仁藤優子らと生徒役を演じ、本業の歌手活動は、当時の売れっ子作家を起用した「IT’S – ME」をリリースするも、やはり一般的な知名度や人気を獲得することはできなかった。

「IT’S-ME」(90/チャート圏外)…当時の売れっ子・及川眠子の作詞、後藤次利が作曲のNTTコードレスフォンのCMソング。
今まで穏やかな曲が多かったが、キャッチーな売れ線の楽曲。衣装もシルバーで決めて気合いが入っていましたが、撃沈。この頃、東海ラジオの公開録音で見ましたが、親衛隊が凄かったデス。

91年に事務所の先輩、松田聖子の「マイアミ午前5時」(C/Wは桜田淳子「ミスティー」)のカバーを最後に、歌手活動は終了。シングル7枚、アルバム1枚を残した。
その後、サンミュージックから離れ、2時間ドラマや時代劇で女優活動を続けていたが、2001年ごろに引退した様子。

2008年には、唯一の残したアルバム「夢子」が復刻され、歌唱力の高さや楽曲のクオリティが再評価されている。

●参考———————————————————————


コメントを残す