• 80年代アイドルを紹介しています。

山中すみか

本名:山中澄佳
1975年5月6日生まれ
京都府長岡京市出身
A型
デビュー曲:「四月白書」
(1989年4月8日)
事務所:キャストコーポレーション
レコード会社:日本コロムビア

1988年に参加したロッテ主催の「ロッテ CMアイドルはキミだ!’88」で3代目グランプリを獲得し、芸能界へ。このコンテストの本選にはのちにアイドルとしてデビューする中江有里や中條かな子も出場していた。

「ロッテ CMアイドルはキミだ!」(88)…グランプリを受賞するとロッテのCMに出演することができ、また、アイドルとしてレコードデビューも約束されるといったもので、審査は、私服による歌唱・水着による30秒自己PRおよび質疑応答とのこと。歌唱審査では、4曲ある指定曲から浅香唯「C-Girl」を歌った。75,632人の応募の中、見事、グランプリ獲得し、デビューを果たした。ちなみに第1回のグランプリ獲得者は立花理佐、第2回は相川恵里、第4回は宍戸留美である。
画像は、デビュー時に立花理佐と出演したCM。

翌89年4月に「四月白書」で歌手デビューとなる。ロッテ製品、DENONのカセットテープ、デビュー曲のCMも流され、大々的に売り出された。ただ、アイドル冬の時代であったため、CMは頻繁に見るものの、音楽番組で見る機会は少なく、ヒットには程遠い状態であった。

デビュー曲の流れを汲んだ切なさいっぱいの2nd「なぜ」、趣を変えたコミカルな作品3rd「な・ん・だ・か・楽しい」をリリースするものの人気に火がつかなかった。

しかし、可愛らしい顔立ちにウィスパー歌唱法、おっとりなんなりの京都弁がウケ、一般的な人気を獲得するには至らなかったが、イベントにはファンが大勢集まり、”すみかん”というニックネームで呼ばれ、固定ファンが存在した。

「四月白書」(89/オリコン最高38位・1.0万枚)…デビューにあたって、CMが流れました。他にもロッテのCMやDENONのカセットテープのCMでもデビュー曲が起用されておりました。クラスで目立たない女の子が、同じクラスの男子を好きになるけど…という、切ない「中学生の片思い」が歌われています。当時、彼女は13歳の中学2年生。サビ部分が♪おねがい~というもので、聴けば思い出すかも?

「なぜ」(89/オリコン最高54位・0.9万枚)…デビュー曲の流れを汲む、切ない片想い路線。デビュー曲に続き、DENONのCMでも流れていました。DENONは在籍レコード会社・日本コロムビアのカセットテープでした。

その後も、シュガーのカバー「春花ざかり」(90)、国際花と緑の博覧会マスコットキャラクター”花ずきんちゃん”テーマソング「FLOWER MAGIC」(90)、ダニエルビダルのカバー作品「ピノキオ」(90)、コミカルな「三日月乙女の恋の反乱」(91)をリリースするが、やはり売上げは振るわなかった。

「ピノキオ」(90/チャートインせず)…なんといっても聴きどころは、サビの部分の♪ピノピノピノピノ…でしょう!彼女のほんわかとした可愛らしさを活かそうとしたのでしょうが、コレはちょっとヤバめ。バンドブームの中、この曲をリリースしようと思ったスタッフさんに乾杯!っていうかロリコン狙いでしょう?一般的な人気の獲得はなりませんでしたが、マニア人気を獲得。同期の”みあみあ”こと増田未亜チャンもマニア人気の高いアイドルでしたネ。

91年より、東海地区のローカル番組「5時SATマガジン」で、サブ司会のYOUの不在時に代理を務めていた。

「5時SATマガジン」…東海地区の若者はみ~んな知っている土曜の夕方の番組デス。ワタクシちゃんと見ていたワケではないのですが、知っていましたヨ。デビュー3年目、京都なまりも少しなりを潜め、擦れちゃったかな…という感じもしましたが、きっちり突っ込まれていますね…。

「もし、私に彼ができたら」(92/チャートインせず)…共演者であった大竹まこととINGRY’Sが作詞作曲をした、番組の挿入歌をリリース。8th(ラスト)シングルとなっています。

93年ごろより姿を見なくなった…と思ったら、高校卒業と同時に引退し、地元に帰った様子。

一時、交通事故による死亡説も流れたが、ガセとのことである。

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