• 80年代アイドルを紹介しています。

宮沢りえ

本名:宮沢りえ
1973年4月6日生まれ
 B型
東京都練馬区出身
デビュー曲:「ドリームラッシュ」
(1989年9月15日)
事務所:オフィス・メイ
レコード会社:ソニー

CMで脚光を浴びた後に、映画、テレビドラマ、歌手デビューなど、順風満帆の活動をし、人気絶頂期にヌード写真集を発表し、日本中に衝撃を走らせる。そして、人気力士との婚約を発表する。(詳細は宮沢りえ①)

しかし、婚約解消

93年1月25日に貴花田は「連絡もとってないし、会ってもいない」、「愛情がなくなりました」と語り、彼女も27日に会見を開き「残念です」と破談を認めた。
わずか2か月間での急転直下の展開に世間は、幸せ溢れていた二人に一体何が…と困惑することとなった。

様々な憶測が飛び交ったものの、本人達が多くを語らないため、はっきりとした破局理由は分からないまま時とともに終焉へ向かっていった。

婚約解消(93)…婚約破棄はママから依頼を受けた美川憲一が説得したとのこと。「あんたは背負ってるものが重すぎる。あんたも母一人子一人。おかみさんになったら、お母さんどうするの?」と説得し、破局に至ったという。

93年3月、日本テレビ開局40年記念ドラマ「西遊記」に主演。かつて堺正章や夏目雅子が出演した人気ドラマのリメイク作品でもあり、破局会見後初のドラマ出演作ということで、話題となった。

「西遊記」(93)…堺正章の人気ドラマのリメイク作品で、夏目雅子が演じた三蔵法師を彼女が演じた。破局会見後初のドラマ出演作としても話題に。視聴率は26.9%を記録し、好評のため、翌年に連続ドラマとして唐沢寿明・牧瀬里穂主演で「西遊記」が製作された。

93年には歌手活動を終了し、以降は女優業がメインとなっていく。

94年春に衝撃的なCMに出演し、脚光を浴びることとなる。宝酒造の缶チューハイ「すりおろしりんご」のCMである。

笑顔の彼女が「すったもんだがありました」と言ってグイッと缶チューハイを美味しそうに飲む。視聴者は破局騒動のことを思い出すこととなった。
この「すったもんだがありました」は、その年の流行語大賞にも選ばれた。

宝酒造「すりおろしりんご」(94)…明るく飲み干す姿で、世間が持つネガティヴで悲愴なイメージを完全払拭とまでは行かなかったものの、あの明るいりえチャンが帰ってきたとホッと安心したものデス。この年、しっかり新語・流行語大賞を獲得。

94年6月には人気ドラマシリーズ「北の国から’95 秘密」で、純の3人目の彼女役に抜擢され、アダルトビデオ出演のある女性を好演し、話題となる。

「北の国から’95 秘密」(94)…視聴率30.8%を記録した。純を思いながらも別の男性と結婚する道を選択、純の元を去る女性を熱演しました。その後も「北の国から’98 時代」(98)、「北の国から 2002 遺言」(02)。

94年9月、不倫・自殺未遂疑惑騒動が起こる。

京都のホテルで歌舞伎役者の中村勘九郎(のちの中村勘三郎)と会った後、同ホテルの別室で手首を切り、病院へと運ばれる。愛人関係にあり、そのもつれから自殺未遂を起こしたのではないかと報道されることとなった。

りえママのプロデュースは恋愛にまで及んだと言われており、貴花田との件も「りえママ戦略の一環」と言われており、92年にはビートたけしとの不倫疑惑もあった。たけしの次にターゲットに選んだのが、歌舞伎俳優の中村勘九郎であったと言われる。

業界の大物に目をつけ、話題づくりのためにりえと交際させた…と、当時のマスコミは数々のスキャンダルを報じていた。

90年代半ばは、各方面から完膚なきまでのバッシングが巻き起こった苦難の時代となった。

不倫・自殺未遂騒動(94)…婚約破棄後、宮沢りえを支えたのが勘九郎で、いつしか2人は親密な関係に発展したと言われている。マスコミの前に現れた彼女は「コケちゃって。持っていたコップで切った」と弁明しました。2012年12月に勘九郎(勘三郎)が亡くなった際の通夜には彼女も弔問に訪れています。エースコック「スーパーカップ」(92)…勘九朗の時ほど大きく報道されませんでしたが、たけしとも不倫疑惑がありました。CMソングをデュエットしております。

95年には、映画「蔵」の降板。クランクイン直前に突如降板し、騒動となった。

脚本家高田宏治によると、元々2番手だった浅野ゆう子が「トップじゃないとイヤだ」と言い出し、宮沢側が「話が違う」と怒っての降板だったという。

映画「蔵」降板騒動(95)…この騒ぎの中行われた制作発表の席上で、浅野は「クレジットはあいうえお順かと思った」ととぼけた。りえの代わりに一色紗映がヒロインを務めることに…。95年、りえが演じる豪姫がタイトル・ロールになっている映画「豪姫」では仲代達矢トップクレジットとなっているが、このときは問題が発生していない。一体なにが…?

このような一連の出来事で病んでしまったのか95年10月のゴルフイベントに出席した際にかなり手足が細くなっており、「激やせ」と各メディアで報じられ、拒食症ではという噂も流れる。アメリカのサンディエゴへ移住し、一時期は芸能活動休止状態となる。

96年に舞台「天守物語」で復帰となる。この年は、田村正和、木村拓哉と出演したドラマ「協奏曲」に出演、99年にはドラマ「ロマンス」に主演するなど、徐々に姿を見る機会が増えていく。

2001年の香港映画「華の愛〜遊園驚夢」で「第23回モスクワ国際映画祭」主演女優賞受賞を皮切りに、女優業が活気付いていく。

03年には、映画「たそがれ清兵衛」で落ち着いた演技を見せ、「日本アカデミー賞」最優秀主演女優賞をはじめ多くの映画祭で高い評価を得ることとなった。05年、「父と暮らせば」で「第47回ブルーリボン賞」主演女優賞受賞しており、これ以降、本格派女優として見られるようになっていった。

女優としての大輪の花を咲かせたこの頃、プロサーファーとできちゃった結婚となる。09年2月、妊娠6か月であることを発表。5月には第一子となる女児を出産するが、12年には離婚となった。

「華の愛〜遊園驚夢」(01)、「たそがれ清兵衛」(03)、「父と暮らせば」(05)など、数々の作品で演技力を高く評価されました。一時は再起不能と言われていましたが、りえママの言いなりで、これまで多くの著名人と交流を持ってきたようであるが、ママから自立し、ロスで自分を見つめ直したことが転機に繋がったようです。

13年、舞台「おのれナポレオン」に出演していた天海祐希が入院したため、代役として起用される。わずか2日間の稽古期間で見事に演じきり、女優としての評価を高めた。

14年9月、りえママ死去となる。

「最期に、生きるということの美しさと、凄まじさと、その価値を教えてもらいました。そういった全ての宝物を胸に、私は、役者として、母として、女として、惜しみなく生きようと思います」とのコメントを発表した。

また、トーク番組「ヨルタモリ」にて初めて番組の司会を担当。本業の女優としても、主演映画「紙の月」で「第27回東京国際映画祭」最優秀女優賞を受賞。

「紙の月」(14)…夫と二人暮らしの主婦・梅澤梨花は、銀行の契約社員として外回りの仕事をしている。丁寧な仕事ぶりによって顧客や上司からの評価も高い。不自由のない生活を送っているように見えたが、夫との間には、空虚感が漂いはじめていた。ある日、年下の大学生、光太と出会い、光太と過ごすうちに、ふと顧客の預金に手をつけてしまう…

16年には、「湯を沸かすほどの熱い愛」で各映画賞の主演女優賞を獲得。

18年には、アイドルグループV6の森田剛と結婚し、話題となった。

数々のすったもんだを経験し、それらの出来事も演技のカテにしているように見える。

●参考文献など——————————————————–

宮沢りえが貴花田との破局を利用?『すったもんだがありました。』1994年の流行語大賞
宮沢りえの男性遍歴・噂になった芸能人一覧♡ふんどし姿やキス他、話題の画像あり
勘三郎さん、りえの自殺未遂騒動で会見
かつて激痩せをきたした宮沢りえはなぜ人気大物女優に成長できたのか?
貴乃花と宮沢りえ 婚約発表からわずか2カ月で破談までの真相


コメントを残す