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森高千里

本名:森高千里
1969年4月11日生まれ
熊本県熊本市出身 O型
「NEW SEASON」
(1987年5月25日)
事務所:アップフロントエージェンシー
レコード会社:ワーナー・パイオニア

1986年夏、大塚製薬主宰の「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」で1万2000人の中より、グランプリを受賞する。このコンテストは88年に歌手デビューする本田理沙も出場していたという。

イメージガール故「ポカリスエット」のCMに登場。このCMには、審査員を務めていた糸井重里といっしょに出演し、独特のやりとりを繰り広げ、笑いを誘った。

「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」(86)…1万2000人の応募があったという。歌唱審査では、中森明菜の「十戒(1984)」を歌唱。全国大会出場者のなかには、のちに本田理沙としてデビューする少女も…。第2回は調べても見つからなかったのですが、あったのかしらン?CMでは、コピーライターの糸井重里氏と登場。個人的には、自動販売機前で、二日酔いという設定の糸井氏とクールでシュールなやりとりをするVer.が好きデシタ。その後、イメージキャラクターに宮沢りえ、一色紗英、中山エミリらを起用し、”有名女優の登竜門”的なCMとなりました。

87年 映画「あいつに恋して」にヒロインとして出演し、その映画主題歌「NEW SEAZON」で歌手デビューとなった。

アイドルシーンは隆盛期を過ぎ、アイドル冬の時代に差し掛かった頃であったためか、デビュー曲は歌謡ロックといった趣で、楽器を演奏しながらのスタイルを取り、異色のアイドルとしての登場だった。九州の高校時代には、ガールズバンドを組み、ドラムを担当していたということである。

同期には酒井法子立花理佐畠田理恵BaBe石田ひかり、坂本冬美などがおり、粒ぞろいなメンバーの中、目立つ存在にはなれず、ヒットには至らなかった。

「NEW SEAZON」(87/オリコン最高23位・4.4万枚)…ドラムが印象的なロックっぽい楽曲でデビュー。アイドルシーンに陰りが見えた頃のためこの路線での出発となった?美形すぎて親しみやすさが足りない感じだから、普通にアイドル路線ではブレイクできなかったことでしょう。”ファーストフード”、”テイクアウト”などの言葉が登場します。今ではお馴染みとなった言葉ですが、当時としては耳馴染みのない言葉でした。パッと聴いた感じ、鼻づまり声のヘタな歌ですが、聴きこむとキュートで可愛いと思えてくるから不思議(笑)写真は人気番組「夜のヒットスタジオ」に登場したときのもの。

しかし、88年、2ndアルバム「ミーハー」のタイトル曲「ミーハー」(のちに「ザ・ミーハー(スペシャル・ミーハー・ミックス)」としてリミックスされシングルカットされる)を初めて手がけると歌詞がユニークで、歌謡曲愛好家の間で話題となる。作詞を手がけた経緯は、スタッフより、「書いてみたら?」と言われたからだという。以後、森高自身の作詞が増えていく。

89年の「ザ・ストレス」は歌詞に注目が集まるだけでなく、CDジャケットやPVや歌唱時の超ミニのウェイトレス姿も話題となり、人気番組「ザ・ベストテン」の”今週のスポットライト”のコーナーに登場となった。

美しい顔と美脚で奇妙な楽曲を歌うギャップで、この頃からジワジワと森高千里の名前が広まりはじめていった。

「ザ・ストレス(ストレス 中近東ヴァージョン)」(89/オリコン最高19位・4.0万枚)…もともとは、4thアルバム「見て」(88)に収録されていたもので、その際は「ストレス」だったが、シングル化にあたりアレンジを変え、「ザ」をつけた。彼女がストレスから腹痛になったことを歌にしたという。なぜ衣装がウェイトレスなのか不思議であるが、「ストレス」と「ウェイトレス」をかけたらしい…。アンナミラーズのウェイトレスのようなピンクと白のストライプ柄のミニスカ姿で歌唱し、男性視聴者が喰いついた。”コスプレ”が一般的でない時代にこの衣装は斬新デシタ。

そんななか、次作は「17才」をリリース。これは71年に南沙織のデビュー曲として発表し、大ヒットしたものである。リリース時はリバイバルブームであり、斉藤由貴が井上陽水の「夢の中へ」をカバーし、大ヒットさせていた。

この楽曲を当時流行のユーロビートにアレンジし、フィフティーズ風の超ミニで歌い踊る、そして、意図的にパンチラを決行。視聴者に大きなインパクトを与え、オリコンチャートや「ザ・ベストテン」などのTOP10内にランキングされる。このヒットにより、彼女を知ったという人も多いと思われる。そして、”超ミニスカ美脚=森高千里”となる。

「17才」(89/オリコン最高8位・19.5万枚)…南沙織のデビュー曲「17才」(オリコン最高2位・54.2万枚)をカバー。彼女は当時20才でしたので、C/Wは「20才」です。当時リバイバルブームで、薬師丸ひろ子「時代」(88)、田中美奈子「涙の太陽」(89)、坂上香織「グッバイ・マイ・ラブ」(89)、咲浜小百合「天使の誘惑」(89)などがリリースされていた。元の楽曲にミスマッチな激しいユーロビートに仕上げ、ヒットとなる。当時はディスコブームでもありましたネ。ヒットの要因は、”超ミニスカパンチラ”も大きいと思います…(汗)前曲に続き「ザ・ベストテン」の”今週のスポットライト”に登場、遂に10位へランキングされました!初夏に発売され、秋口にランクインなので、ジワリジワリのロングヒット。

その後は、個性的な作品を多く発表し、ヒットさせていくこととなる。また、アルバムも好セールスを記録。

文学的な言葉やカッコイイ言葉を用いず、シンプルでたわいない日記みたいな内容をそのまま歌詞にする作風がウケ、唯一無二のソングライターとしてポジションを確立していった。

また、超ミニスカ+ヴィヴィドなカラーやスパンコール、肩パッドを使った派手な衣装にも注目が集まり、フィギアにするファンやコンサートで同じ衣装を着て応援するファンも現れた。
衣装が派手であった理由は、「ライブで一番遠くのお客さんからも私の姿を見つけやすいようにってことが第一なんですが、TVで埋もれないためでもありました。当時はバンドブームで、一人で目立つには派手にするしかなかったんですよ」と後年に語っている。

「非実力派宣言」(89/オリコン最高2位・21.6万枚)…タイトルもビックリですが、ジャケット写真もなかなか(笑)、バブル時代の象徴のようなワンレン、ミニスカ、ハイヒール…。コレをフィギアにしたものを宅八郎氏が持っていましたネ。「はだかにはならない」、「私はおんち」なんて楽曲が収録(笑)「今度私どこか連れていって下さいよ」は加藤紀子が92年にデビュー曲としてリリース。
「古今東西」(89/オリコン最高1位・35.8万枚)…アルバムでは、唯一の1位獲得作品。
発売当時のキャッチコピーは「どうせやるなら ここんとうざい」というもの。どういう意味かしらン?
「ROCK LIVE」(92/オリコン最高3位・31.1万枚)…演歌に挑戦した「酔わせてよ今夜だけ」を収録。93年に城之内早苗がカバーし、翌年に渡り約2年間のロングリクエストで「第27回日本有線大賞」有線音楽優秀賞を受賞している。

92年により多くのファンを獲得することとなる。「私がオバさんになっても」のヒットである。この楽曲は女性の共感を呼んだようで、カラオケでもよく歌われた。世の中に”ザ・森高”を印象付け、今でも彼女のことを語るときには、欠かせない代表作となっている。なお、紅白歌合戦にも初出場となり、この年を含め7年連続出場となった。

93年には「渡良瀬橋」、「私の夏」、「風に吹かれて」がヒットとなる。特に「渡良瀬橋」は、07年に歌碑が足利市にある渡良瀬橋のそばに建てられるほど、愛される曲となった。

この頃より、ミニスカートの似合う女性というイメージを維持したまま、サウンドや歌詞が以前より自然な感じになっていった。(「雨」(90)のような切ないバラードも書いていたが、コミカルな面に注目が集まることが多かった。)

「私がオバさんになっても」(92/オリコン最高15位・22.7万枚)…♪私がオバさんになったら あなたはオジさんよ~ そうですネ。でも♪私がオジさんになったら あなたはオバさんよ~と歌ったらスゴく怒られそうな気がします(笑)オリコン順位は意外にTOP10圏外で、売上げだって特大ヒットではありませんが、記憶に残る1曲であり、彼女の名刺代わりの1枚でもありますネ。芸能ニュースが彼女について語るときに”オバさんになっても”森高はキレイなんて枕詞でつきますよネ。

「渡良瀬橋」(93/オリコン最高9位・30.9万枚)…栃木県足利市のほぼ中央を流れる渡良瀬川に架かる橋。この曲のヒットで、存在が全国的に知られるようになり、観光名所となった。また、足利市から「足利のイメージアップに寄与した」ことを理由に、感謝状を贈られた。07年には橋の傍に歌碑も立てられ、碑の横のボタンを押すと「渡良瀬橋」が流れる。歌の中に登場する”八雲神社”や”床屋の角にぽつんとある公衆電話”は実在し、公衆電話については、利用者の減少によりNTT東日本が撤去対象としていたが、市側の要望で撤去が回避されたという。しんみりとした楽曲でも、森高節は健在で♪北風が冷たくて 風をひいちゃいました~というのが彼女らしい。

音楽活動のほかに、アイドルとミュージシャンのボーダーライン上に存在する特異な存在であったため、大手企業のCMのイメージキャラクターも多く務めていた。

順調に活動をおこなっていくものの94年に顎関節症のため、2年間、コンサートツアーを休業するというトラブルもあった。しかし、精力的に活動を続け、この年は子供向けの「ロックン・オムレツ」をリリースし、話題に。またビールのCMソング「気分爽快」をヒットさせている。

●CM

全日空…沖縄、九州のキャンペーンに登場。前者は「私の夏」(93/オリコン最高5位・38.2万枚)、後者は「風に吹かれて」(93/オリコン最高1位・38.1万枚)がCMソングとして起用されヒットとなりました。

アサヒビール…アサヒ生ビール「Z」には、「気分爽快」(94/オリコン最高3位・43.8万枚)が起用される。♪飲もぉ~ 今日はとことん盛り上がろう~ 覚えやすいサビで、コレも彼女の代表曲でありますネ。

「17才」の頃には、”ミニスカでパンチラして男に媚びるバカアイドル”ということも言われていましたが、男女に愛される歌手に成長しました。

90年代半ば(94年から95年辺り)に大きく売り上げた楽曲が集中しており、人気のピークであったように思う。

「夏の日」(94/オリコン最高5位・40.9万枚 「浅草橋ヤング洋品店」エンディングテーマ)
「素敵な誕生日」(94/オリコン最高1位・38.0万枚 アサヒ生ビール「Z」CMソング)
「二人は恋人」(95/オリコン最高5位・44.4万枚 ドラマ「恋も2度目なら」主題歌)
「ジンジンジングルベル」(95/オリコン最高2位・25.3万枚 サントリー「アイス・ジン」CMソング)
「ララサンシャイン」(96/オリコン最高5位・17.9万枚 花王「ブローネ」CMソング、情報番組「めざましテレビ」テーマソング)

99年、俳優の江口洋介と結婚。出産を経験し、1男1女の母となる。育児を優先し、芸能活動はCMや雑誌の連載などを散発的に行う程度となっていたが、2008年ごろから、子育てに支障のない限り、音楽活動も徐々に再開。

ハウス「ジャワカレー」(04-08)…夫・江口洋介とCMで共演。キッコーマン「うちのごはん」…歌いながら商品の説明をしてましたネ。

2012年の歌手デビュー25周年に、ベストアルバム発売、本格的に歌手活動を再開することを発表した。以後、メディアへの露出も増え、2015年には音楽番組「水曜歌謡祭」の司会も務めた。

最近は、クラブミュージックにも挑戦し、携わるジャンルの幅を広げている。

2017年には歌手デビュー30周年を迎えた。

●書籍・CD・DVDなど———————————————————

●参考文献など————————————————————–

森高千里- Wikipedia
アサ芸+ 森高千里「私がオバサンになっても」(前編)(1)九州育ちが「どさん娘」デビュー
アサ芸+ 森高千里「私がオバサンになっても」(前編)(2)椎名林檎と対照的なキャラ
アサ芸+ 森高千里「私がオバサンになっても」(前編)(3)背中の痛みに耐えステージへ
アサ芸+ 森高千里「私がオバサンになっても」(後編)(1)“脱ミニスカ”までの道のり
アサ芸+ 森高千里「私がオバサンになっても」(後編)(2)中森明菜への憧れと目覚め
アサ芸+ 森高千里「私がオバサンになっても」(後編)(3)花開いた「森高ワールド」


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