• 80年代アイドルを紹介しています。

星野由妃

本名:上野正希子
1971年2月10日生まれ
東京都三鷹市出身
デビュー曲:「恋人達の長い夜」
(1989年4月10日)
事務所:六本木オフィス
レコード会社:ワーナーパニオニア

1987年、街でスカウトされ芸能界へ。
この芸能界入りまでは、ちょっと時間を有することとなる。

芸能界に興味がなく、レコード会社のプロデューサーと芸能プロダクションに何度も熱烈なスカウトを受けていたが、何度も断り続けていた。しかし、デモテープをレコーディングして作成したときに、レコーディングの楽しさを知り決断することとなった。また、当時高校3年で進路を決める時期となっていたこともあったという。

89年に「恋人達の長い夜」で歌手としてスタートを切る。
歌謡曲愛好家からは、ルックスは小泉今日子、声は松田聖子を思わせる響きがあり、歌声の心地よさを高く評価された。

18歳と遅いスタートとなったこともあり、デビュー曲から本名で作詞をし、アーティスト色の強いアイドルとして売り出すと言う戦略を取った。

デビューまでの経緯はドキュメンタリー番組「地球発19時」でも取り上げられ、学校の前でチョコレートを配るプロモーションも行われた。その甲斐あってか、オリコンTOP20内にランキングされ、上々のスタートとなった。

しかしイベントやテレビで歌う表情には、笑顔も無く冷めていたため、「態度が大きい」や「ネクラ説」がファンから出てしまうこととなった。

「恋人達の長い夜」(89/オリコン最高16位)…18歳というチョット高齢デビュー。それ故、本人が作詞をし、アーティスト性の高いアイドルとして登場。この時期、森高千里、井上昌己、山口由子などアイドルなのかアーティストなのか?という人が多くいました。落ち着いた楽曲を冷めた表情で唄っており、「態度デカイ」、「ネクラ」と言われてしまう…。そもそも笑って唄うような楽曲ではないし、一般的に”アイドル=笑顔”なんでしょうネ。

デビュー翌月には数曲の作詞を務めているミニアルバムをリリース。
周囲の彼女に対する期待の高さが窺い知れた。

2nd「はなさないで」は新人賞レースの勝負曲となった。同期の田村英里子細川直美川越美和、マルシアなどと一緒に参戦。ここでテレビでの露出も多く、1曲目が好調な滑り出しを見せていたため、TOP10入りするかと思われたが、売上げは大幅にダウン。

またレースの総本山「第31回日本レコード大賞」新人賞は落選となってしまった。

「はなさないで」(89/オリコン最高38位)…♪同じ夢で眠れるくらい そばがいい~なんてフレーズはなかなか出てこないんじゃ?作詞の才能あったのかもネ。この曲は笑って歌唱。だってラブラブのラブソングだもの。「ネクラ」というレッテルを彼女は気にして、ライブでネタにしていたとのことデス…。
色々な音楽祭の新人賞にノミネートしました。しかし、「第31回日本レコード大賞」新人賞の5枠には6番手で、落選(涙)。

翌年も歌手活動を続ける。しかし、売上げは下降するばかりであった。
この頃は、音楽業界はバンドブームであり、アイドルが出演する音楽番組が相次いで終了となっており、唄う場がない…”アイドル冬の時代”突入となっていた。

「サヨナラなんか聴こえない」(90/オリコン最高176位)…サックスが印象的なカッコイイ楽曲。しかし、人気急下降。
「真夏の影」(90/オリコン最高153位)…松岡直也が作曲、作詞は三浦徳子による灼熱のラテン歌謡。コニカのCMソングでヒット狙いであったであろうが、撃沈…。

音楽番組は少なくなっていたものの、露出はそれなりにあり、CMやドラマ出演もあるものの、人気に火がつくことない状態であった。沖電機のCMでの台詞「パコパコしましょ。」が一部で話題になったくらいであった。

●CM

コニカ「大画面ズーム」(90)…美人の由妃チャンが5人も。あなたはどの由妃チャンがタイプ?「真夏の影」がCMソングとして起用されるもののヒットせず…でした。

沖電気工業「if NOTE」(90?)…事務所の先輩・浅香唯チャンに替わって由妃チャンがCMに登場。そういえば、キョンキョンだけでなく、唯チャンにも似てると言われていましたネ。”パコパコしましょ。”が意味深ということで一部で話題に。

楽曲のクオリティを評価されつつも、それは、歌謡曲ファンからのみであり、一般的には浸透せず、歌手としてブレイク出来ないでいた。そうなると女優やタレントとして活躍の場を広げていくケースが多いが、91年の発売シングル「赤い傘」から作曲もはじめ、更にアーティスト色が濃くなっていった。

「赤い傘」(91/オリコン最高170位)…髪をバッサリ切りイメージチェンジ?この曲は作詞・作曲を手がける。「スターどっきり㊙報告」の寝起きドッキリを仕掛けられるアイドルとして登場。新人の登竜門的なコーナーであるが、3年目の彼女が…。スタッフは何としてでも彼女を売りたかったのでしょう。スタジオで唄うのではなく、水着のVTRが流れました。数年後、このスタイルの良さを活かした仕事をします…。

しかし、その後、CDの売り上げの不調によりスカウト時の担当プロデューサーが地方のレコード会社の営業所に飛ばされ、そのことに対して胸を痛め一時芸能界を引退したという。

そして…

93年、事務所を移籍し、本名の上野正希子に改名してヘアヌード写真集「figlia」を発売、同時期に映画「修羅場の人間学」で高嶋政伸との濡れ場を披露する。

アイドル時代のCMを思い出し、”パコパコしましょ。”って…と口にした者は多かった。

ヘアヌード写真集「figlia」…スタイルの良さに注目が集まり、B級アイドルのヌード写真集の中では話題になった方である。彼女の代表作といってもいいであろう。
映画「修羅場の人間学」…主演の高嶋政伸サンと”パコパコ”しているのが、女優・上野正希子サンです。アイドル時代の彼女を知るものは、いずれ、本格的にアーティストとして転身して活動すると思っていたのではないだろうか…。

改名し、再スタートした時期に、友人であるモト冬樹と噂が流れるということもあった。
以降、女優として活動していくが、脱ぐことが出来る女優としてVシネマが中心であった。

「妖女伝説セイレーン2」(94)、「くノ一忍法帖IV 忠臣蔵秘抄」(94)
人気シリーズで主演女優を務める。しかし、どちらもお色気作品ですが…。芸能界入りを何度も断った彼女が脱ぐというのは、きっと何か事情があったのではないかと思います。デビュー当時のプロモーションは1億円かかったと言われるので、その返済?この頃はヘアヌード&Vシネ黄金期であったので、ブレイクできなかったアイドルでコノ路線を選んだ人は多かった…。

99年、上原真希子に改名、また2003年には、上原正希子に改名し、酒井法子主演の連続ドラマ「女将になります!」に出演した。

しかし、2004年頃より彼女を見かけなくなってしまう…。

アイドルよりニューミュージック路線で売り出した方が、歌手として、もっと長く活躍できたのではという意見が聞こえてきます。柔らかで色気のある声、ボリューム、歌心もあり、唄い続けていれば、オトナのポップスを唄う歌手としてのブレイクもあったかもしれません。

素質を持ちながらも、アイドル冬の時代であったため、スポットライトが当たらなかったアイドルのひとりでした。


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