• 80年代アイドルを紹介しています。

宮沢りえ

 本名:宮沢りえ
 1973年4月6日生まれ
 B型
東京都練馬区出身
デビュー曲:「ドリームラッシュ」
(1989年9月15日)
事務所:オフィス・メイ
レコード会社:ソニー

1985年に明星食品「チャルメラ」のCMでモデルとして活動を始め、不二家 、コカコーラ、ケンタッキーフライドチキン、資生堂など大手企業のCMに登場。また雑誌 「週刊セブンティーン」の表紙モデルも務め、美少女モデルとして活躍しており、その業界では有名な存在であったという。

●少女モデル時代のCM

不二家「キットカット」(85-88)…同時期に子役モデルとして活動していたゴクミ(後藤久美子)と共演したCM。同学年ということもあって仲が良く、良きライバル関係でもあったという。
ケンタッキーフライドチキン(85-87)…写真には写っていませんが、86年には、北大路欣也と共演しています。
資生堂「遠野物語」(86)…可愛いまるで日本人形みたい。しかし、彼女は日本人の母親と、オランダ人の父親を持つハーフとのこと。芸術性が高く、全日本シーエム放送連盟(ACC)CMフェスティバルでグランプリを受賞。資生堂のCMには、その後、断続的に出演します。キレイで可愛いから化粧品会社のCMにはピッタリですネ。

87年、彼女を一躍有名にするCMに巡り合うことになる。「三井のリハウス」のCMである。

このCMはドラマ仕立てになっており、”白鳥麗子”を演じ、この美少女は誰?と注目され、ここから彼女の快進撃が始まって行くこととなる。

CM「三井のリハウス」(97)…教室の黒板前で「旭丘にリハウスしてきました白鳥麗子です。」と自己紹介をする少女。バイオリンを奏で、駅のホームでは本を手にする。”白鳥麗子”という出来すぎた役名も、美少女性が際立っていた彼女なら違和感ゼロ。「三井のリハウス」は彼女以降、坂井真紀(90)、一色紗英(91-92)、池脇千鶴(97-99)、蒼井優(02-04)、夏帆(04-07)といった美少女を立て続けにCMに起用し、若手女優の登竜門と目されるようになりました。 一見優雅にバイオリンを弾いている様に見えるが全く弾けなくて「ギーギーッ!!」と凄い音が鳴っていたという(笑)

88年には、人気小説の映画化作品「ぼくらの七日間戦争」の主役に大抜擢され、さわやかな存在感を発散し、大型新人登場をアピールした。この作品で、「日本アカデミー賞」新人賞を受賞とする。また、南野陽子主演「追いかけたいの!」でテレビドラマにも進出。

そして、バラエティ番組「とんねるずのみなさんのおかげです」でコントの才も発揮。とんねるずや渡辺満里奈と学園コントに出演し、そのなかのセリフ「ざけんなよ!」は流行語にもなった。

映画「ぼくらの七日間戦争」(88)…管理教育に抑圧された中学生が、学校教師や大人に「戦争」を挑むというストーリー。菊池健一郎クン、大沢健クン、工藤正貴クンなどと共演しておりましたが、周囲が霞んでしまうほどのキラキラとして存在感がありました。主題歌はTM NETWORK「SEVEN DAYS WAR」でありました。

バラエティ番組「とんねるずのみなさんのおかげです」(88)…木曜21時からの放送なので「ザ・ベストテン」と同じ時間帯。なので、筆者は見ていませんでしたが、流行語「ざけんなよ!」は知っていました。ワタクシ、お上品なので口にはしませんでしたが(笑)

人気番組や話題作の出演が相次ぎ、知名度と人気に活気がついてゆき、89年4月、ドラマ「青春オーロラスピン スワンの涙」で連続ドラマ初主演。

シンクロナイズドスイミングを題材にしたドラマで水着姿のシーンも多く、彼女の抜群のスタイルに注目が集まった。

ドラマ「青春オーロラスピン スワンの涙」(89)…天才バレリーナだったミカはアキレス腱の切断によりバレイの道を断念し、父親の知人である翔子の勧めで、シンクロを始める。水恐怖症やいじめの乗り越え、シンクロ選手として成長していく。いじめ役には武田久美子嬢。目力のある彼女にピッタリのハマリ役でした。この秋には、写真集「My Dear Stephanie」で語り草となる貝殻ビキニ、そしてヌードも披露し、話題に。

和久井映見チャン、小林彩子チャン、桜井幸子チャン、越智静香チャンなどのアイドルも出演しておりました。ちなみに主題歌は仲村知夏サン「ひとりぼっちに帰らない~I Think We’re Alone Now~ 」でした。

9月には小室哲哉の提供による「ドリームラッシュ」で歌手デビューとなる。

音楽番組での歌唱はほとんどなかったが、30万枚を超えるヒットを記録し、人気音楽番組「ザ・ベストテン」、「歌のトップテン」にランクインとなる。(しかし、出演はなかった。)

「ドリームラッシュ」(89/オリコン最高2位・34.1万枚)…上手いとは言えませんが、ウィスパー系の声で味のある歌唱。後に日本の音楽業界を征する小室哲哉氏のTKブームの始まりともいうべき作品。ギターでB’zの松本孝弘も参加。「ザ・ベストテン」最終回に7位にランクしたが出場はなかった。さらに、「歌のトップテン」でランクインされた時も、一度も登場しなかった。写真は「夜のヒットスタジオ」出演時のもの。

そして、この年、世間が驚いたのは…

ふんどし姿のカレンダーである。

肌を露出したスキャンダル的な姿を発表するのは、人気が下降線を描き、現状を打破するための起死回生のための苦肉の策であることが一般的であるが、飛ぶ鳥落とす16歳のアイドルのこの姿に、世間は騒然、唖然となった。

90年カレンダー(89)…トップアイドルのおしりが殆ど見えている姿にとにかく日本中が驚きました。16歳のオンナのコにふんどしを履かせるという発想はどこから?それにしても、腰の位置が高くて驚きますネ。翌年にはこれにヒントを得たのか田村英里子チャンが半分おしりが覗く”おしりルック”カレンダー(世間は”半ケツ”カレンダーと呼びましたが…)を発表しました。そういえば、ドラマ「スワンの涙」で共演した武田久美子嬢は写真集「JUST A GIRL」(87)で椰子の葉のふんどしをしていましたネ。

90年には、ドラマ「いつも誰かに恋してるッ!」に主演、主題歌となった2nd「NO TITLIST」がオリコン最高1位を獲得する。

また、彼女演じるヒロインの「ぶっとび~」というセリフが中高生を中心に流行した。

ドラマ「いつも誰かに恋してるッ!」(90)…理子(宮沢りえ)が沖縄の海で溺れたところを各務築(真木蔵人)と兄の聡に助けられて以来、築を思い続けて捜していた。ある日、高校に築が転校してくるが、沖縄で出会った時とのあまりの違いに驚く。西田ひかるチャン、島崎和歌子チャン、中村由真サンなどのアイドル達も出演していました。

「NO TITLIST」(90/オリコン最高1位・25.6万枚)…読み方は”ノンタイトリスト” 自分の生き方にタイトルをつけたくない、枠にとらわれずに生きていきたいッと歌う。この時点で充分に個性的な生き方をしているように見えましたけどネ。デビュー曲に続き、小室哲哉氏が作曲・編曲。

同年にシリーズの「いつか誰かと朝帰りッ!」にも主演、主題歌の3rd「Game」では、「第41回NHK紅白歌合戦」に初出場となった。

この紅白では、「NHKホール外で自由に歌いたい」との本人の希望により、中継出演となり、芝浦の倉庫屋上でバスタブに浸かりながら歌ったことが話題を呼んだ。

「Game」(90/オリコン最高5位・9.5万枚)…今では、珍しくもない「紅白」での中継であるが、「紅白らしいライブ感が無い」と不満の声が多かったという。そのうえ入浴スタイルで歌い、誰もが呆気にとられた。そして、コレ、口パクだよね(汗)なお紅白出場はこの年のみ。

国民的アイドルとなっていた彼女は、数々の企業のイメージキャラクターを勤めており、CMクィーンとも呼ばれていた。この年には「CM起用社数ランキング」の女性部門で1位(9社)に輝く。

また、同じ頃、モデル出身のアイドルとして活躍していた観月ありさ、牧瀬里穂とともに、頭文字「M」から「3M」と呼ばれていた。

●ブレイク後の主なCM(88-90)

日立マクセル (88-89)…ビデオテープのCMに登場。テレビ画面にリンゴを落とすと飛沫があがる…印象的なCMなので、覚えている人も多いのでは?ちなみに合成ではないそうで、撮影に苦労したそうな。
大塚製薬 「ポカリスエット」(88- 90)…長きに渡って出演したCM。有名タレントの登竜門的なCMとなっており、彼女以前には森高千里、以降は一色紗英、中山エミリ、鈴木杏、加藤夏希、綾瀬はるかなどが出演しています。

91年の夏には舞台「ジプシー」でストリッパーの役を演じることが話題になったり、前年に続き24時間テレビ「愛は地球を救う」のチャリーティーパーソナリティーを務めるなど人気は衰えずスター街道を驀進していた。

そして、91年10月13日の朝、新聞をめくっていた者は衝撃的なある全面広告に目を疑うこととなる…

ヌード写真集「Santa Fe」発売予告である。

豊満なバストを露にした全裸のトップアイドルが腰の前で手を組んで扉に寄りかかる姿が掲載されていたのだ。

人気絶頂時の10代のアイドルがヌードになることは前代未聞で、11月13日の発売の様子はワイドショーだけでなく、ニュースでも取り上げられるほどであり、155万部のベストセラーとなった。

10代の美しく芸術的なヌードは、購入者に男性ばかりでなく、女性も多く、ヌードへ対する見方を変え、女性自身の意志による自己表現であるという考えも聴かれるようになり、その後、続々と有名タレントのヌード写真集が出版された。

この写真集については、健全なヌードをもっと目に触れさせる機会を増やし、性に対する正しい目が持てるように…という理由で、学校図書館に入れようという動きもあったという。

写真集「Santa Fe」(91)…ふんどし、シースルーのセーラー服、舞台でのストリッパー役など肌を露出することで話題をさらうことが多く、いつ脱ぐの?など半分冗談で言われていたものの、本当にその時が来るとは…世間の驚きは凄まじく、まさに「ぶッとび~」デシタ。トップアイドルは脱がないという概念を変えた偉大なる1冊。学校にオンナのコが持ってきて、クラス中で見たという思い出がありますヨ。それくらいに事件でありました。発売当時の彼女は18歳であり、だから撮影を持ち掛けたと篠山はのちに語っているが、撮影時は17歳であったとも報じられた。

ふんどし、写真集など奇抜な仕掛けの陰にはマネージャーを務めていた母親”りえママ”の存在がとても大きくあったと週刊誌やワイドショーなどで報道されており、”一卵性母子”とも言われ、常に行動を共にし、「宮沢りえはステージママの操り人形」との批判もあった。

ヌード写真集発表後も、芸能活動を変わらず継続し、92年には、映画「豪姫」やドラマ「東京エレベーターガール」に 主演する。

そして、写真集に続く衝撃的な出来事が…

貴花田との婚約

92年11月27日、婚約を発表。当時、国民的な人気を誇っていた2人の婚約は“世紀のカップル誕生”と大きな話題となった。

貴花田との婚約…彼女はまだ19歳。ドラマや映画に引っ張りだこの、まさにこれからという時期で、まさかの交際&結婚宣言でした。貴花田は兄の若花田と空前の相撲ブームを牽引する存在。「若貴フィーバー」と呼ばれ、これまで年配層が多かった国技館には、若い世代が訪れ、学校や職場では頻繁に相撲の話題が交わされるようになりました。

風のように時代を駆け抜けている彼女だったが…
宮沢りえ②へ続く)

●書籍・CD・DVDなど——————————————————–

●参考文献など——————————————————–

“白鳥麗子”の衝撃。宮沢りえ「三井のリハウス」から30年
今見ても可愛すぎる☆宮沢りえさんの子供モデル時代の画像集☆
アイドルポップスレビュー『夢は眠らない』 NO TITLIST/宮沢りえ
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宮沢りえさんの伝説の写真集サンタフェの中身と内幕と母光子の積極営業


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