• 80年代アイドルを紹介しています。

坂上香織

本名:坂上香織
1974年7月29日生まれ
長崎県出身 A型
デビュー曲:「レースのカーディガン」(1988年8月24日)
事務所:ライジングプロダクション
レコード会社:東芝EMI
キャッチフレーズ:かおり、深呼吸。

1986年、12才(小学校6年生)の時に長崎県で行われた、荻野目洋子のコンサート会場でスカウトされ、芸能界へ入ることとなる。

後藤久美子が巻き起こした美少女ブームで多くのローティーンアイドル、注目されたなかでのデビューとなった。

87年にグリコ「プリッツ」のCM出演でデビューし、ドラマ「ガキ大将がやってきた」で女優としてもデビューし、大河ドラマ「独眼竜政宗」にも抜擢される。「オレの妹急上昇」、「太陽の犬」では主演を飾り、「第2の後藤久美子」と言われてるようになっていた。

深窓の令嬢的な佇まいは、将来、”正統派女優”もしくは”正統派アイドル”として大きくなるであろうと期待された。

女優業に続き、88年8月には作詞を松本隆が、作曲を来生たかおが手がけたという超豪華盤「レースのカーディガン」でアイドル歌手活動もスタートさせる。レコードジャケットは「Sk」マークをこすると「香織のかおり」がするという、特殊加工も施されていた。ほかにも、アニメ「キテレツ大百科」主題歌に起用、ミュージックビデオは大林宣彦監督による作品と完璧なるプロモ体制が敷かれた。

ヒットメーカーが作り上げた美しく切ない楽曲と彼女の佇まいがマッチし、人気番組「ザ・ベストテン」、「歌のトップテン」にランクインとなる。上々な滑り出しとなった。

ファンからは”ガミちゃん”と呼ばれ愛されていたが、そのニックネームも含め、全国的な人気を獲得していくものだろうと思われた。

●歌手デビュー

「レースのカーディガン」(88/オリコン最高7位・7.2万枚)…女性が男性の立場で歌う”ボクもの”楽曲。松本隆作詞の「木綿のハンカチーフ」+来生たかお作曲「セーラー服と機関銃」÷2=「レースのカーディガン」といった感じで、別名「木綿の機関銃」とも…(笑)八重歯のおかげで、笑うと端正な顔立ちが、無邪気な14才になるのです。そして、その変化が、物凄く魅力的デシタ。♪大事な何かを失うたびに 人って大人に変わるんだね…と、その後のガミちゃんを暗示させる歌詞?(笑)哀愁漂う楽曲を歌うその声は、低音で野太く、舌足らずでベタッとした感じであまり歌手向きではありませんでした。(滝汗)。

デビュー曲と同路線の2nd「赤いポシェット」、アニメ「らんま1/2」主題歌である3rd「プラトニックつらぬいて」もスマッシュヒットとなる。

しかし、音楽業界は各方面で、曲がり角を迎えている時期であり、ランキング番組の上位に進出していても大衆に認知されないヒット曲というもの存在するようになった時代。彼女の楽曲もご他聞に漏れずであった。ドラマ出演などあり、それなりの成功を収めているものの一般的な知名度を得ているとは言えず、本格的なブレイクを待つ状態に。

なお、1988年12月頃から翌年4月発売の3rd「プラットニックつらぬいて」リリースの約3ヶ月という短期間で、八重歯の矯正を行っている。

「赤いポシェット」(88/オリコン最高7位・5.4万枚)…前作と同路線。ちょっとインパクトに欠けてしまったでしょうか?今度は女の子が男の子を見送ります。「プラトニックつらぬいて」(89/オリコン最高9位・4.4万枚)…人気アニメ「らんま1/2」のEDテーマのため、認知度が一番高いのかな?アップテンポで、前2作のおとなしいイメージからぷちチェンジ?しかし、パフォーマンスがちとハジケ切らないカンジ?特技は”料理”でお嬢様のイメージを裏切らない。特に煮物等の和食全般が得意と語っておりましたネ。実家は長崎市内で割烹料理店(現在は飲食店を複数)を経営。なるほどネ!

4thはアンルイスの名曲「グッバイ・マイ・ラブ」をカバー。当時、カバーブーム。斉藤由貴「夢の中へ」をカバーし、大ヒットをさせており、森高千里が「17才」でブレイクしていた。彼女もカバー楽曲にて本格ブレイクの方式を狙った。

方々の歌番組に話題曲として取り上げられるものの、売上げは振るわなかった…

●アン・ルイス「グッバイ・マイ・ラブ」をカバー

「グッバイ・マイ・ラブ」(89/オリコン最高22位・3.5万枚)…アン・ルイスが74年にリリースし大ヒット(オリコン最高14位・23.8万枚)を記録した楽曲をカバー。話題曲として、「ザ・ベストテン」”今週のスポットライト”などへの出演もありましたが、ヒットとならず(涙)学生の”ガミちゃん”にはちと難しい楽曲だったかナ。まだ”恋に恋するお年頃”デショ?

90年に5th「瞳のダイアリー」をリリース。恋の始まりを歌った煌びやか且つ等身大の楽曲であり、新境地を見せてくれるかと思われたが、その後アルバムをリリースし歌手活動が終了。以降は歌手と平行していた女優に注力して行くこととなる。

「瞳のダイアリー」(90/オリコン最高50位・0.9万枚)…使いきりサイズの医薬品テルモ「プチック」CMソング。少し余裕が出たのか、歌唱時に笑顔も見られるようになりました。高校生になったガミちゃんは、どんな顔を見せてくれるのかナと思っていましたが、ラストシングルとなりました。

91年の主演映画「電影少女-VIDEO GIRL AI-」あたりまではアイドル女優的な立ち居地で活動していた。この後あたりからか、名前を「坂上かおり」と改名し、2年ほど活動する。

●映画に主演

主演映画「電影少女-VIDEO GIRL AI-」(91)あたりまではアイドル女優の趣でしたが、どこかからか「脱いじゃうの?」という空気を発散しているように感じました。

●”坂上かおり”と改名

「坂上かおり」と改名し、2時間ドラマ、連続ドラマのゲスト等で頑張っていました。

91年にトップアイドル宮沢りえがヌード写真集「Santa Fe」を発表、10代の現役トップアイドルの健全なヌードは、ヌードへ対する見方を変え、アイドル性を保ったヌードが多く発表されるようになっていた彼女も93年に、雑誌「週刊プレイボーイ」でヌードを披露し、写真集「FLOWERS」を発表する。

●ヌード写真集発表

写真集「FLOWERS」(93)…「週刊プレイボーイ」が全面バックアップした話題作。ヘアヌード全盛期でありましたが、ヘアにぼかしが入ったオールヌード写真集。父親は近所の人に娘のヌードを見られたくなくて、地元の本屋の写真集全て買い漁ったという…。19歳のヌード。しかし、この時すでに芸暦7年デシタ。
以後、どんどんケバくキツイ顔つきになっていきます(涙)清純派からここまで変貌する娘も珍しいのでは…というくらいに。そして、脱ぎ続け、ヘアも公開します(滝汗)。この後もヌード写真集を4冊発表。少女に何が起こったか?

その後は悪役や汚れ役を体当たりで演じることが多くなる。ヌード写真集もコンスタントに発表となる。
01年には子供向けの特撮ドラマ「ウルトラマンコスモス」にて副隊長を演じる姿も見られたものの、お色気路線での活動が顕著であった。

●映画、Vシネマで体当たりの演技を披露

Vシネマ「XX マトリの女」(98)…殺しとエロティシズムの衝撃的映像美の「XX(ダブルエックス)」シリーズの第4弾の主演女優として登場。
Vシネマ「ヤンママトラッカー」シリーズ(99-03)…全5作。デビュー当時の美少女だった、ガミちゃんが、ヤンママに…。

02年には団鬼六原作の官能小説を映画化した「紅薔薇夫人」に主演。杉本彩が体当たりでSMシーンを熱演し、(中年男性の間で)ブームとなった「花と蛇」シリーズの延長線にある作品で今度は彼女がチャレンジすることとなった。しかし、杉本彩の「花と蛇」のようなブームは巻き起こせなかった。

映画「紅薔薇夫人」(01)…夫の借金のかたに娼婦として働かされ、SM地獄へと足を踏み入れていく女性を演じた。

デビューの時の深窓のお嬢様的佇まいを知る者にしては、少し悲しくもあるが、出し惜しみすることなく、潔く脱ぎ続けた女優魂に大拍手を贈りたい。

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喜多嶋舞

本名:喜多嶋舞
1972年8月11日生まれ
神奈川県茅ヶ崎市出身 AB型
デビュー曲:「Whisper~そっとあなたに~」
(1988年2月5日)
事務所:スペースワンレコード
会社:ファンハウス

2歳の頃にアメリカ合衆国のカルフォルニア州へ移住している。
1986年、俳優の奥田瑛二と共演した、コンパクトカメラ「ニューカルディア」のCMでデビューとなる。88年、「ときめきざかり」で初主演、女優としてスタートを切ったのに加え、ドラマ主題歌の「Whisper~そっとあなたに~」で歌手デビューも果たすこととなった。
芸能界入りしたものの当時はまだカルフォルニア在住であり、仕事がある時に日本にやって来るという形を取っていた。連続ドラマの撮影ということで長期にわたり日本に滞在となった。また、カルフォルニア州のハイスクールでは休学制度がなく、この日本滞在中は州公認の家庭教師の下で個人授業を受けて単位を取得したという。

●CMでデビュー

富士フィルム「ニューカルディア」(86)…奥田瑛二サンとの共演CMでブラウン管に登場。この時はまだ10代はじめ…顔面の完成度が高い!カメラのCMに美少女はピッタリですネ!

●女優&歌手デビュー

ドラマ「ときめきざかり」(88)…女優としてのデビュー作がゴールデンタイムのドラマの初主演とは!恵まれた環境でのスタートでした。やはり、2世タレントは有利?しかし主題歌「Whisper~そっとあなたに~」(88/オリコン最高34位・1.2万枚)はヒットとならず…。

歌手としての活動は、シングル「Dear Daddy」、アルバム「Whisper」を発表し、半年ほどの短期間で終了となる。テレビでの歌唱披露もなく、あっさりとしたものだった。

女優として、光GENJIの大沢樹生、内海光司と共演となったドラマ「ワイルドで行こう! BORN TO BE WILD」(88)や大河ドラマ「春日局」(89)などの話題作に出演していたが、それらよりも当時、まだ珍しかった帰国子女タレントとしての活動が顕著であった。
国際電話や英会話スクールのCMの出演や情報バラエティ番組「はなきんデータランド」の司会などで、英語力や外国育ちの感性を活かし活躍していた。

●帰国子女タレントとして活躍

KDD「国際電話」…帰国子女ということが活かされたお仕事。もちろん英語をお話しています。ほかには、英会話学校のイーオンにも出演していました。今では外国育ち、ハーフタレントは珍しくないのですが、当時は早見優サン、
西田ひかるチャンくらいしかいませんでした。

●情報バラエティ「はなきんデータランド」司会

情報バラエティ「はなきんデータランド」(89)…桂文珍サンや朝岡聡アナらと一緒に司会を務める。外国育ちらしくハッキリとした言動が垣間見え、気が強そうデシタ。となりはCHA-CHAの中村亘利クン。

華々しくデビューしたものの、若手女優のひとりといった感じの目立たない状態となっており、94年ごろからは、大胆に肌を見せるような写真集の発表や濡れ場などにも挑戦するようになり、いくつかの作品でヌードを披露している。
また、2001年には篠山紀信撮影でヘアヌード写真集「mye」を発表。07年には、映画「人が人を愛することのどうしようもなさ」で殺気迫る演技を見せ、話題となった。

●石井隆作品に主演

映画「人が人を愛することのどうしようもなさ」(07)…石井隆監督作品。女優の名美は、同じく俳優の夫の不倫に悩まされていた。そんな中、彼女は新作映画で夫と共演することに。さらに夫の不倫相手である女優までキャスティングされ…。エロティック、そしてサスペンスたっぷりという愛憎劇。石井隆は、喜多嶋舞を想定して初稿を書き、熱烈なラブコールを彼女に送ったという。名美は美少女アイドルとして登場したという件もあります。

私生活では、96年には、元光GENJIの大沢樹生と妊娠をきっかけに結婚となるが、05年に離婚。しかし、07年には、出版社勤務の一般男性と再婚となる。

大沢との間に誕生した息子であるが、13年に、DNA鑑定により息子と大沢との間に血縁がないことが明らかになり、ワイドショーや週刊誌で大きく取り上げられた。

●スキャンダルで引退

実子騒動(13-15)…我が子だと長年、育ててきた子が、他人の子だったという衝撃。訴訟後、大沢側が勝訴。話し合いにより、親権は喜多嶋に一旦戻ったが、拒否したために息子はアメリカにいる実母である内藤洋子の許で育てられることになった…。騒動が終焉を迎えるまでに、双方の食い違う主張や離婚後の親権の移り変わり、長男からの二人からの虐待告白、そして本当の父親は誰か?いうことまで、色々と話題になった。

15年、この騒動で「公私のけじめ」などの理由をもって芸能界を引退している。


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