• 80年代アイドルを紹介しています。

本田理沙

本名:本田こずえ
1971年5月27生まれ
大分県中津市出身 B型
デビュー曲:「Lesson2」
(1988年7月1日 )
事務所:フロム・ファースト
レコード会社:ソニー

1986年に大塚製薬主催の「第1回ポカリスウェット・イメージガールコンテスト」に出場するものの、予選で落選。しかし、芸能プロダクションにスカウトされ、高校入学と同時に上京となる。ちなみに、このコンテストのグランプリは森高千里だった。

翌88年に、ドラマ「花のあすか組!」に主要キャストの敵役・春日で出演となる。このドラマはB級アイドルだった南野陽子、浅香唯を一気にトップアイドルに押し上げた「スケバン刑事」シリーズの延長線上にあたる話題作で、ここでのツッパリぶりが、アイドルマニアの間で話題になった。

●ドラマ「花のあすか組!」に主要キャスト・春日で出演

花のあすか組!」(88)…小高恵美主演。理沙チャンは全中裏の幹部・春日。男装の麗人というような佇まいで、熱演。何ともいえないフテブテしい感じが良かったデス(笑)

この番組には新人アイドルがたくさん出演。あすかのマブダチの小沢なつきチャン、石田ひかりチャン。敵役は佐倉しおりサン、和久井映見チャン、千葉美加チャンなど。

また、ドラマ放送中に歌手としてもスタートを切る。デビュー曲の「Lesson2」は作詞を大御所の阿久悠が担当した。ドラマの役柄を受け継ぐようなちょっとワルっぽい(けど根は純情な)女のコのイメージで売り出された。GSサウンドにちょっと蓮っ葉な歌詞の載った前時代的な楽曲でデビューし、しぼり出すような色香漂う声で、余裕・貫禄充分に唄い上げた。

また、テレビでの歌唱時には、リーゼントの「貴族」という名のバックバンド付きで、パフォーマンスを披露。他のアイドルとは一線を画すような形をとり、ヒットとはならなかったものの、歌謡曲愛好家に存在をアピールした。

「Lesson2」(オリコン最高92位・0.3万枚)…70年代は神がかっていた阿久先生の歌詞も、80年代になるとパワーダウン…♪未熟 半熟 そして 早熟~即興?と疑ってしまうフレーズが…。しかし、曲やアレンジは凝っており、一聴の価値ありです。イントロのワ-ォ!の男声の雄叫びから引き込まれます。初期は一人で歌っていましたが途中から”With貴族”となりました。和洋折衷の変わった衣装で”貴族”というより”横浜銀蠅”的お兄さんたちに囲まれ歌唱する姿は、カッコイイ!というより、奇妙デシタ。インパクトは残ったかもしれないが、ファンの間でも賛否両論あった様子。

また、あどけなさを残す小悪魔的なルックスに小柄だけどグラマーな肢体がデビュー時から注目を集めており、グラビアで引っ張りだことなっていく。

2ndも作詞に阿久悠を迎えることととなる。タイトルは「いちごがポロリ」。
踊りに夢中で肩紐がずり落ちバストトップがポロリしてしまった(というか、わざとポロリしたとしか思えない歌詞…)という内容。またもヒットとはならなかったが、歌謡曲愛好家の記憶に残り、後世に語り継がれる迷曲となった…

●名曲?迷曲「いちごがポロリ」

「いちごがポロリ」(オリコン最高34位・1.1万枚)…♪刺激が強い いちごがポロリ ごくり 生つばねぇ…なんともHな歌詞で、コレは可哀想と思いましたが、新人らしからぬ堂々とした唄いっぷりで、プロのお仕事をしてくれました。彼女のことを語るときに”歌の上手い場末のホステスさん風”と表現することがありますが、童顔だけど、クールで色っぽい表情を見せるので、このテのモノをあてがいたくなるのは、分かるのデスが…。

「でかダンク いちご白書」(88)…1st写真集。ココにも”いちご”の文字が…”ポロリ白書”でなく良かったワ(笑)、それ程にあの楽曲は、衝(笑?)撃的でした。この写真集は、もちろん健全な水着姿の写真集デス。

翌89年も「本気!(マジ)」、「さそって入り口 ふるえて出口」とその後も作詞に阿久悠を起用し、キュートでHな路線を貫いていた。1stアルバム「ME HER スクランブル」でも10曲中9曲を阿久悠が担当している。

「ME HER スクランブル」(89)…1stアルバムには、「いちごがポロリ Part2」が収録。曲とアレンジを変えた別バージョンも収録されていマス。そんなに伝えないといけない内容なのかしらン(笑)
艶のある気合の入ったヴォーカルが、斜に構えたような、挑発的で高飛車なオンナが登場する歌謡曲にマッチしました。”バブル時代版・山本リンダ”のイメージで作詞されたようデス。

90年には、アニメ「おぼっちゃまくん」のエンディングテーマ「容赦なく愛して」をリリース。原作者である小林よしのりの作詞であったが、ヒットには繋がらなかった。

この頃より、「スーパーマリオクラブ」の司会やバラエティ番組「志村けんのだいじょうぶだぁ」、「東京イエローページ」などでコントを披露するなど、お茶の間タレント的な活動が顕著になっていた。

この時代は、アイドル冬の時代に突入し始めていたため、アイドルを歌よりも司会やアシスタントでTV出演させることが多くなっていた時代。また、グラビアで活躍するグラビアアイドルが勢いを持ち始めたのもこの頃。

バラエティアイドルとして、井森美幸、森口博子、山瀬まみを筆頭に、松本明子、松居直美、松本典子などが存在しており、同じ頃デビューした田中律子、島崎和歌子などもバラエティに活路を見出していた。グラビアアイドルとしては、杉本彩、かとうれいこ、岡本夏生、細川ふみえなどが活躍しており、また各会社のキャンペーンガールなどが存在していた。

彼女は歌、グラビア、ドラマ、バラエティと色々こなしていたが、どの分野でも今ひとつ抜け切らない感じであった。

91年に「a・za・mi」にて楽曲のリリースが終了となる。約3年間の歌手活動で、7枚のシングルと1枚のアルバムを残した。

●タレントとして活動

「スーパーマリオクラブ」(90-93)では、渡辺徹とお子様向けゲーム番組の司会を担当(後に加藤紀子に交代)。180cmの徹サンと並ぶと154cmの小柄な理沙チャンはこう見えます。また、「志村けんのだいじょうぶだぁ」や「東京イエローページ」にも出演し、コントを披露しておりました。

91年には、「オールナイトフジ」で、企画モノユニット“堀越ダイナマイツ”を伊藤美紀相川恵里と結成。アイドルマニアを楽しませてくれました。

所謂アイドル稼業から撤退した後は、Vシネマやドラマのゲスト出演、バラエティ番組、グラビアなどが活動の中心となっていた。特に、グラビアでの活動が印象的であり、「いちごがポロリはいつ?」と思われながら、1997年の結婚引退までに12冊(復刻含む)の写真集を残した。

●写真集を12冊リリース

「少女がおとな」(91)…数多くのセミヌード写真集を残しましたが、いちばんの衝撃作といえば、コレではないだろうか?セミヌードと言えば、”いちごがポロリ”しないように、あのテこのテでこぼれないようにするのだけど、このような隠し方があったとは。お子様向けゲーム番組の司会のお姉さんをしつつ、一方ではセクシーなグラビアで大活躍でした。いつ”いちごがポロリ”してくれるの?という感じだったが、結局は、”ポロリ”しないまま、結婚引退へ。

08年にグラビアで復帰し、翌年には写真集も発表し、活動を拡大していくと思われたが、10年に父親が急死し、高齢の母1人が残されたことをきっかけに大分に戻り、活動の拠点とすることとなった。司会業やタレント育成スクールの代表として、アイドル発掘を行っているという。

15年には、引退の理由はストーカー被害であったことを告白し、話題となった。

●書籍・CD・DVDなど———————————————————


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