• 80年代アイドルを紹介しています。

相川恵里

本名:相川恵里
1972年4月29日生まれ
長崎県長崎市出身
B型
デビュー曲:「純愛カウントダウン」
(1988年4月20日)
事務所:アーティストハウス・ピラミッド
レコード会社:東芝EMI

1987年、第2回「ロッテCMアイドルはキミだ!」に応募し、グランプリを獲得し、芸能界へ。このオーディションの準グランプリは、島崎和歌子が選ばれている。また、本選には千堂あきほも残っていたという。

88年4月、「純愛カウントダウン」で歌手デビューとなり、本人出演のロッテのCMでも流れた。

初代グランプリが前年度、ドラマ「毎度おさわがせします」の主演で話題となり、「第29回日本レコード大賞」最優秀新人賞の立花理佐であったため、その2代目ということで注目された。

また、同時期にトップアイドルの南野陽子主演ドラマ「熱っぽいの!」に出演し、テレビ、雑誌など各メディアで取り上げられ、非常にラッキーなデビューとなった。

●ロッテのCMに登場

「ロッテCMアイドルはキミだ」(86-89)…ロッテの主催で4度に渡って開催された女性アイドル発掘オーディション。「ホリプロタレントスカウトキャラバン」や「全日本国民的美少女コンテストに次ぐ人気を誇った。グランプリ受賞者にはロッテのCM出演と歌手デビューが約束されていた。第3回は山中すみか、第4回は宍戸留美がグランプリを受賞。

切れ長の目が印象的なクールな顔立ちで、年齢にしては大人っぽい雰囲気を漂わせていた。当時は、「美少女ブーム」であり、キレイ系のルックスはその流れにマッチしており、活躍が期待された。

オリコンチャートでは、TOP10近くまで上昇し、大型新人の登竜門、人気番組「ザ・ベストテン」の”今週のスポットライト”のコーナーにも登場となった。

●歌手デビュー

「純愛カウントダウン」(88/オリコン最高12位・3.9万枚)…♪だけど サヨナラって サヨナラって 言えない…キャッチーなんだけど、曲調やアレンジがチョット古めで、70年代風歌謡曲という感じデス。唄う姿は、クール、落ち着いている、媚びない…今ならクールビューティーと称され、売れっ子になりそう。特技は、古式泳法。ベストテンスポットライトで歌唱時には、プールで撮影した映像も流れた。(古式泳法は見せず…)

2nd「ABコンプレックス」は、前作とは作風を変え、コミカルな歌詞&イントロ部分からコーラス隊が盛り上げるノリの良いアイドルらしい楽曲をリリース。この楽曲は、本人がAB型であることからデビュー曲の予定であったが、上京後の検査でB型と分かり、お蔵入りとなった作品とのこと。3rd「Shock Me!」は、百恵&明菜路線の楽曲であった。

「ABコンプレックス」(オリコン最高12位・2.9万枚)…イントロから、コーラスがA・B・A・B、HEY!HEY!と盛り上げます。恵里チャンも♪恋のレッスンABCD ♪Are you ready go One two One two three four! など可愛い声で語尾をシャクリあげアイドル歌唱を披露!しかし、ハジけ足りない?開き直りが足らないカンジ…学校では「大将」と呼ばれているんでしょ?(笑)遊び心いっぱいのラブコメのような乙女な歌詞はクールな美少女・恵里チャンにはミスマッチだったかナ。

秋には主人公の妹役で出演したドラマ「さすらい刑事旅情編」の放送開始となる。このドラマはシリーズ化され、95年まで続いた。シリーズ全てに登場し、いわゆる彼女の代表作であろう。

80年代半ばから後半にかけて歌番組は曲がり角を迎えており、ポップスは若者、歌謡曲・演歌は中高年とユーザーが別れ、以前よりも視聴率が取れなくなり、歌番組はリニューアルのため試行錯誤を続けている時代。しかし、回復にならず、音楽番組が相次いで終了となっていた。それに伴い、アイドルたちも活躍の場が減少。デビューした88年は、「アイドル冬の時代」へ突入した初年といわれる年でもある。

また、天皇陛下の体調不良が伝えられており、各局の音楽祭=お祭りと目され、自粛傾向であった。この年の新人歌手はお披露目する機会が少なく、なんとも厳しいスタートとなっていた。

年末には新人賞レースへ参戦、「第30回日本レコード大賞」新人賞を獲得している。

しかし、アイドルが注目されない時期であり、世間的にはたくさんいるアイドルのひとりといったところであったと思われる。

翌89年の4th「サブウェイ・シンデレラ」は、前作に続き百恵&明菜路線を狙ったかのようなクールな楽曲、5th「渚してみれば」は爽やか路線。新しい魅力を披露してくれるものの目覚しい結果を得ることは出来ていない状態であった。また、話題の女流作家・椎名桜子の小説「家族輪舞曲」の映画化に出演となるが、こちらも興行成績が振るわない状態であり、女優としてもブレイクにはならず。

「SHOCK ME!」(88/オリコン最高16位・2.1万枚)、「サブウェイ・シンデレラ」(89/オリコン最高19位・1.9万枚)…2枚続きけて、百恵&明菜路線の楽曲をリリース。シャープでクールなルックスの恵里チャンには、こちらの方がお似合い+イキイキ唄っているように見えました。前者は、ドラキュラ、世紀末など出てきてナカナカ面白い歌詞でした。後者は野太い声で歌唱。歌によって声を使い分けることが出来ました。「渚してみれれば」(89/オリコン最高27位・1.2万枚)…当初2nd予定だった楽曲。陽の目を見ました。

そのようななか、90年、大阪で開催された「国際花と緑の博覧会」のテーマ曲の一つとなった「約束」を発売。それに加えて、春の「第62回選抜高等学校野球大会」の入場行進曲にも選ばれた。起死回生のヒットが期待されたが…撃沈。そして、惜しくもこの作品がラストシングルとなった。

●第62回選抜高等学校野球大会」入場行進曲

「約束」(オリコン最高59位・1.0万枚)…「国際花と緑の博覧会」のテーマ曲。「第62回選抜高等学校野球大会」入場行進曲。前年度のヒット曲・流行歌が起用されるのが通例だったが、同曲は例外となった模様。
ヤ・ク・ソ・クと可愛く振り付けをする恵里チャン。しかし、ヒットとならず(涙)♪ヤ・ケ・ク・ソで脱ぎ脱ぎセミヌードタレントになっちゃいマス。

歌手活動を終了した後は、女優兼タレントとして活動をしており、「さすらい刑事旅情編」のシリーズで定期的に見ることは出来るのだが、その他は、話題作に恵まれない印象。二科展に入選し、少し話題となったこともあった。しかし、写真集やビデオで大胆に肌を露出している、そちらのほうが印象深い。

●女優兼タレントとして活動

女優兼タレントとして活動。91年「オールナイトフジ」で本田理沙伊藤美紀と”堀越ダイナマイツ”と称した企画ものユニットを結成していた。
「東京イエローページ」(89-90)では、初代”Page7”のメンバーでしたネ!
また、色っぽい写真集やビデオを発売。
セミヌード写真集「A SHADE」(93)は表紙からおしり丸出し…。茶系のノスタルジックな色合いの写真が多く掲載され、創り手の努力が感じる作品です。スレンダーな体でグラビア映えします。

95年に「さすらい刑事旅情編」が終了となる。この頃、芸能界から引退した模様。

芸能界を引退してからは、「ヤクルトスワローズの押尾健一氏と結婚した」という噂が語られてきたが、16年に、押尾氏が「結婚相手は名前の読み方が同じだけの別人」として報道を否定したという。

●「さすらい刑事旅情編」
全シリーズにレギュラー出演

「さすらい刑事旅情編」(88-95)…恵里チャンの代表作でしょう。キャストの入れ替わりが激しく、全シリーズ出演は三浦洋一サン、宇津井健サンと恵里チャンだけ。Part2とPart4を並べてみるとイイ女に成長したのが、分かるデショ?さっぱりした顔で木村多江サンに似てますね。薄幸顔とも言うのかな…。曲によって唄い方を変えることが出来たり、書道、水泳、二科展入選など多才なアイドルでした。今なら、バラエティで大活躍していたでしょう。

アイドル歌手としては、シングル6枚、アルバム2枚を残した。一般的な知名度は得られなかったが、冬の時代に健闘したアイドルのひとりと言えよう。

●書籍・CD・DVDなど———————————————————


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