• 80年代アイドルを紹介しています。

西田ひかる

本名:西田光
1972年8月16日生まれ
神奈川県川崎市多摩区出身 O型
デビュー曲:「フィフティーン」
(1988年4月6日)
事務所:マナセプロダクション
キャッチフレーズ:つまさきまでまぶしい15才

神奈川県に生まれるが、父親の転勤に伴い生後10ヶ月から13歳まではカルフォルニア州ロサンゼルスで育った帰国子女である。

88年、航空会社JASのキャンペーンガールとして芸能界デビューし、「’88コーラルアイランド・キャンペーン」のCMに登場。その後、アニメ「小公子セディ」のテーマ曲「ぼくらのセディ」をリリースし、プレデビュー。そのミュージカルで主演を演じる。歌や舞台にと、順風満帆な活動開始となった。

「ぼくらのセディ」(88)…ハウス名作劇場「小公子セディ」テーマ曲。アニソンってことで企画もの=プレデビュー扱いになる感じ?岡本舞子サン、志賀真里子サンもそうでしたネ。
男の子みたいな凄いショートカットですね(汗)
元気ハツラツだったから、ボーイッシュなイメージで売り出そうとしたのでしょうか?

程なくして、公式デビュー曲「フィフティーン」でアイドル歌手としてスタートを切った。ハウス食品「フルーチェ」のCMソングに起用され、本人も出演となった。しかし、ヒットと呼べるには、至らなかった。
そして、3rd「Little Chance」が花王の洗顔フォーム「ビオレ」CMソングに起用され、本人も出演。耳にする機会は多かったはずだが、売上げや人気は振るわず…。

88年は、天皇陛下の体調不良により、各局の音楽祭は開催中止傾向であり、顔を売る機会が少なかったが、賞レースに参戦したのが、相川恵里と仲村知夏。
また、前年の後藤久美子が巻き起こした美少女ブームで注目されたのが、藤谷美紀坂上香織小川範子など。彼女らがこの年を代表するアイドルであり、第1グループとして活躍。彼女は目立つ存在ではなかった。

●歌手デビュー

「フィフティーン」(88/オリコン最高40位・1.0万枚)…ショートカットでボーイッシュ。でも、可愛い女のコ。「ぼくらのセディ」からの3ヶ月ですが、可愛くなりました。ボーイッシュで元気ハツラツの彼女は、この年のブームとはちょっと違ったでしょうか…。声もチョット野太いし…。
この年デビューは、上記のほかに高岡早紀チャン、田中律子チャン、Wink男闘呼組など。

翌89年もシングルのリリースを絶え間なく行い、「テレビ探偵団」(日曜日のゴールデンタイム放送)のアシスタントを山瀬まみよりバトンタッチされるなど露出はあるものの、一般的な知名度や人気の獲得とならず。もちろん歌手としても低空飛行であった。音楽業界は、バンドブームに突入し、アイドルは”冬の時代”へ突入となっていた。

花王「ビオレ」(88-89)、ハウス食品「フルーチェ」は2年目も継続して出演。「フルーチェ」では、健康的なイメージを活かして水着姿も披露してくれました。グラビアアイドルにも引けをとらないナイスボディ!その後も、ハウス食品は長期間CMに起用(88-97、08-09)。ポップコーン、カレー、シチューなど。長く続いたといえば、彼女の”お誕生日パーティー”も…。デビューの88年から結婚前年の01年まで14年間開催されました。毎年ワイドショーで紹介され、「夏の風物詩」でしたネ(笑)

歌手よりは帰国子女という点を活かした司会、アシスタント業などのバラエティ・アイドル的な活動が順調であった。(日本をよく知らないから、ちょっとボケた発言が面白かった…)

90年にトップアイドル・宮沢りえ主演の連続ドラマ「いつも誰かに恋してるッ」、「いつか誰かと朝帰りッ」に準主役的ポジションで出演したころより、世間に認知され始める。音楽活動にも反映され、「プン プン プン」、「手のひらの私」がチャート20位台に登場し、1stコンサートも行われた。

この年は、活動が拡大していく様子が目覚しく、映画「山田ババアに花束を」に出演し、「第14回日本アカデミー賞」新人俳優賞、最も雑誌のグラビアを飾り話題を提供したタレントとして「第28回ゴールデン・アロー賞」グラフ賞を獲得している。

また、アラクス「ノーシンホワイト」のCMでのセリフ”私はすぐにナオリタガール”の”ガール”の発音の良さが話題となったこともあった。

●CMが話題に

CM「ノーソンホワイト」…”私はすぐにナオリタガール”の”ガール”の部分だけ英語の発音。その後、日本人的な発音に修正…。ネイティブな発音に拒否反応を示した人が多かったから?面白かったのに…。CMソングは「手のひらの私」(90/オリコン最高20位・2.4万枚)は作曲がCHAGE、編曲は亀野誠治。前作「プン プン プン」(90/オリコン最高29位・2.5万枚)からの継続。どちらの楽曲もバラエティ・アイドル的活動が反映された、ちょっとコミカルな仕上がり。

91年はテレビのチャリティー番組、24時間テレビ 「愛は地球を救う」にチャリティーパーソナリティとして抜擢される。

そして、歌手としては今ひとつ決定打を欠く状況が続いていたのを打破することとなる。ヒロインとして出演する「デパート!夏物語」の主題歌「ときめいて」のヒットである。オリコンチャートのTOP10内に初チャートインを果たした。

このヒットで「第42回NHK紅白歌合戦」にも初出場し、紅組のトップバッターとして歌唱と相成った。 

●紅白歌合戦に初出場

「ときめいて」(オリコン最高7位・14.9万枚)…作詞・松本隆、作曲・筒美京平。「デパート!夏物語」の主題歌。その後、「デパート!秋物語」、「夏!デパート物語」にもヒロインとして出演、それぞれ主題歌も担当しました。
「紅白歌合戦」出場がお約束されるような規模のヒットではなかったが、「今年、アイドルで誰を出場させるか?」となったら、彼女で間違いありません。
ジャケット写真は、髪も伸びてバッチリ、アイドルするひかるチャンです。
同時期に活躍したアイドルは、田村英里子チャン、高橋由美子チャン、宮沢りえチャン、CoCo、ribbon、島崎和歌子チャンなど…。

明るく元気な優等生キャラで、歌、芝居、司会業(英語もOK!)と器用にこなせる彼女はテレビには欠かせないという程に人気が加速し、92年には、NHK教養番組で冠番組「西田ひかるの痛快人間伝 -Dashing life story-」の司会を務める。この年も紅白歌合戦出場となった。

93年、ドラマ「チャンス」では、トレンディー俳優の三上博史と共演、三菱エアコンCMソング「涙 止まらない」 がヒットし、連続で紅白に出場となった。この年は、持ち歌でだけでなく、森口博子、坂本冬美と人気アニメ「美少女戦士セーラームーン」に扮し、歌唱するパフォーマンスを見せている。

●トレンディードラマに出演

ドラマ「チャンス」…三上博史主演。人気絶頂の折、突然渡米と充電を表明し、2年後に帰ってきたら忘れ去られていた破天荒な歌手・本城裕二の復活させようとさせる新米マネージャーがひかるチャンでした。三上博史サンがドラマの役名・本城裕二で「夢 with You」(最高位3位・39.5万枚)をリリースし、ヒットとなった。

94年は「きっと愛がある」 、95年は「人生変えちゃう夏かもね」をヒットさせ、この時期が歌手としてのピークであった。しかし、紅白歌合戦には落選となっている。

●94~95年 歌手としてピークを迎える

「涙 止まらない」(93/オリコン最高18位・13.7万枚)

「きっと愛がある」(94/オリコン最高19位・18.4万枚)

この2曲は三菱のCMソングとなりヒット。後者は 彼女の最大ヒットとなり、クーラーの前でバスローブを開くCMも話題となった。♪あるある・る・る 紅白ある かなり確実…と思ったら落選。

「人生変えちゃう夏かもね」(95/オリコン最高18位・18.0万枚)…前年、ヒットもありながら紅白落選。この年も返り咲きはならず。演歌やなつメロの占める割合が高く、ヒット曲といえども大ヒットではなかったためポップス枠から押し出された形になった?。最近は、とくこサンのモノマネでお馴染みですかね?森口博子サン、岡本夏生サンなども当時、マネしていました。

その後、ヒット曲とは縁遠くなっていたが、90年代後半も、スキャンダルもなく、正統派アイドルとして活動を続け、ドラマ、CM、バラエティ番組等マルチに活動し、98年には、長野冬季オリンピックのアンバサダーとして選ばれている。また、この年は、紅白歌合戦に5年ぶりの返り咲きを果たした。

●優等生マルチタレントとして活躍

「第49回NHK紅白歌合戦」(98)…なぜかヒット曲が全くなかったが出場し、 「ザッツ・ディズニーファンタジー」というディズニーメドレーを歌唱。どういった理由での人選だったのかしらン?紅白歌合戦は4回出場。NHKが好きそうな良い子で清潔感あふれるキャラクターですモノね。早見優サン的といいますか…。
ヒット曲がないのに出場というと、○原○恵サンを思い出してしまいます(滝汗)

2002年5月、30歳の時に、交際が噂されていた3歳上の男性とゴールイン。06年には長男、09年には次男をもうけている。しばらくは主婦業をメインに芸能活動は抑えていたが、昨今は、コメンテーターなどのタレント業を主として活躍している。

アイドル冬の時代の活動であったため、ヒット曲はあるものの、大ヒットは出せなかったが、音楽、ドラマ、司会、CMなど幅広く活躍し、圧倒的な知名度を誇った。この時代のアイドルとしては、歌手活動が継続して10年間以上続き、貴重な存在だった。

●書籍・CD・DVDなど———————————————————


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