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吉田真里子

本名:吉田真里子
1970年11月19日生まれ
兵庫県姫路市出身 B型
デビュー曲:「とまどい」
(1988年2月3日)
事務所:スリーシーズン
レコード会社:ソニー

1987年、雑誌「週刊少年マガジン」(講談社)が主催の「第6回ミスマガジン」で、審査員特別賞を受賞し、芸能界入りする。

この芸能界入りまでは、ちょっとしたエピソードがある。

応募はしたものの、学校が芸能活動禁止で最終選考を辞退したところ、その資質を惜しむ関係者が特別賞というものを送り、芸能界へ導いたという話だ。

●第6回ミスマガジン」審査員特別賞

ミスマガジン…82年に「週刊少年マガジン」のグラビアオーディション企画として写真家・野村誠一の全面協力を経て創設。第1回目のグランプリは伊藤麻衣子。

その後、斉藤由貴、八木さおり、細川ふみえら有名アイドルや女優を輩出した。南野陽子もミスマガジンと勘違いされるが、コンテスト外で選ばれたマガジンメイトというもの…とのこと。

雑誌社のオーディション出身のため、まずグラビア展開が行われた。

深窓の令嬢的な気品溢れる佇まいは”清純派アイドル”の登場と盛り上がり、歌手デビューのイベントには、3000人以上のファンが殺到したという。

彼女の歌唱は、噛み締めるような独特の唄い方。なんというか、”真里子節”とでも言おうか、和風の響きを持った、心休まるような味のある唄い方であった。
また、心休まると言えば、18歳という年齢(当時のアイドルとしては高齢デビューですが…)に似合わない落ち着いた、播州なまりのある淑やかなトークも魅力的だった。

抜群のルックス、育ち良さげで知的な雰囲気、癒し系の歌声で、独特の存在感を醸し出し、トップアイドルの候補として、非常に期待度が高かった。

「とまどい」(88/オリコン最高14位・3.6万枚)…おっとり話す真里子チャンに似合いのゆったりとした癒し系の楽曲。聴きドコロは間奏部分の「拝啓、初めてお便りします…」という語り。彼女の個性が活かされていますネ!憂い顔もバッチリ決まりました!だって、デビュー前の目標は「女優」だもんネ。タイトルは「あこがれ」だったけど北岡夢子チャンが「憧憬(あこがれ)」でデビューしたので、変更となったという噂(真実?)。写真は「夜のヒットスタジオ」に出演時のもの。

若くて可愛いだけのアイドルではない風情であったが、写真集の発売やらラジオのレギュラー、ドラマ出演など、アイドルらしい、お決まりのコースを歩んでいた。

「守ってあげたい…Mariko」(88)

「リトル・ロマンス」(89)

「バラードが聞こえる…」(90)

●グラビア活動

講談社「ORE」を中心にグラビアでも活躍。水着姿も見せてくれました。
愛くるしく儚げで、凛としてるカワイコちゃんだから、写真集を3冊も発表。

2nd「さよならのリフレイン」は、マイナー調の失恋ソング。後藤次利の作曲であった。当時の後藤といえば、工藤静香への提供曲が当たり、ヒットメーカーとして絶好調の時期であったデビュー曲とは、趣を変えたが、落ち着いた彼女の雰囲気に似合い、人気番組「ザ・ベストテン」の”今週のスポットライト”にも登場となった。

●「ザ・ベストテン」”今週のスポットライト”に登場

「さよならのリフレイン」(88/オリコン最高15位・3.3万枚)…後藤次利の作曲・編曲。ゴッキーが静香風ではなく、真里子チャンの個性に合わせた楽曲をキチンと提供してくれています。
疾走感のあるマイナー調の曲に”真里子節”がのっかります。
♪さよならのリフレイン せつなさのメロディ…というサビも覚えやすく、ヒット曲を狙いに勝負に出たと感じる一曲。「ザ・ベストテン」の”今週のスポットライト”にも登場いたしました。

また、年末には1stアルバム「詩華集-ANTHOLOGY-」の発売、「ライオンリスナーズグランプリ・FM東京最優秀新人賞(のちのJFNリスナーズアワード)」で、最優秀新人賞を獲得となった。

地味ながらも、吉田真里子の世界を築き上げようとする丁寧な作品づくりが高評価を得ていた。

「ライオンリスナーズグランプリ・FM東京最優秀新人賞」…FM東京とライオンが主催(95年、名称変更)。ラジオ局側によるノミネートを経て、最終的にリスナーによる投票でグランプリを決定するのが特徴。テレビ局主催の新人賞とは違う顔ぶれになることも。アーティストの受賞者が多いという傾向。ちなみに、この年、テレビでの賞レースを賑わせていたのは、アイドルでは相川恵里と仲村知夏であった。

●1stアルバム「詩華集-ANTHOLOGY-」

「詩華集-ANTHOLOGY-」(88)…彼女のキャラクターを考慮した楽曲はシングルでも提供されているが、アルバムでは、より一層彼女の魅力を感じることが出来るよう丁寧に創っている。オルゴールの音が施され統一感と上品さを感じるアルバムとなっている。
10曲中、9曲を武部聡志が編曲を担当(武部氏は、だいたい編曲のみのことが多いが、真里子の作品に関しては、作曲も担当。2ndアルバムでも)。
歌謡曲ファンより名盤と評価されている。

翌89年は、シングル、アルバムのリリースに加え、春と冬にコンサートを開催。
3rd「夢を追いかけて」はアニメのエンディングテーマ、4th「夏の恋人達」は本人登場のCM「全共連 農協自賠責共済」で流れるものの楽曲も彼女もフィーチャーされるには至らず、デビュー時には上々の盛り上がりを見せていたものの、苦戦する状態となっていた。

「夢を追いかけて」(89/オリコン最高21位・2.5万枚)…ぷちイメージチェンジで、それまでの静かな路線から、チョット明るく路線変更。アニメ「名門!第三野球部」のエンディングで流れていました。
♪夢を一歩二歩 追いかけて… 聴いたら、分かるかも?
清楚なワンピースのイメージがありますが、ブリブリのヒラヒラのお姫様風ドレスもよくお似合いでした。曲のイメージとチョット合いませんが(笑)♪グッバイ・ミス・ボーイッシュってこと?

この頃は、音楽業界はバンドブームへ移行している時期であった。また、「ザ・ベストテン」は89年、「歌のトップテン」も90年に終了となる。アイドルが受け入れられない、唄う場がない…アイドルにとっては”冬の時代”突入となっていた。
松田聖子も1位記録が途絶えるなど、アイドルをのあり方や取り巻く環境が変わろうとしている時期であることを感じさせた。
バブル経済の華やかな時でもあり、彼女のような清純派アイドル路線は時代錯誤感も漂った。

特に88年デビューの新人は天皇陛下の体調不良に伴って、音楽祭も開催中止されることが多く、顔を売る場が少ないという不利な状態からのスタートとなっていた。(とはいえ、Winkはデビューの翌年に「日本レコード大賞」を受賞…)

●CM

CM「農協の共済 自賠責・自動車共済」(89-90)…保険に入っていない車には乗りたくないというCM。89年Ver.は、入ってないなんて!と男性をビンタする内容(汗)。数少ないお芝居の仕事(といっても、セリフはない…)アルバムには「朗読」が収録されているが、穏やかな声色なので、女優業も行っていたら、人気者になったのでは?「夏の恋人達」(89/オリコン最高24位・1.7万枚)、「陽ざしのソリチュード」 (90/オリコン66位・0.7万枚)が起用されていました。

楽曲のクオリティを評価されつつも、それは、歌謡曲ファンからのみであり、一般的には浸透せず、歌手としてブレイク出来ないでいた。そうなると女優やタレントとして活躍の場を広げていくケースが多いが、彼女は90年より、毎月小さなホールでライブ活動を始めた。

自ら作詞・作曲も行うようになり、アイドルというよりも、アーティスト的な活動となっていった。
しかし、テレビで見かけることが少なくなっていた。

デビュー時は、セーラー服の似合うロングヘアの美少女でしたが、ショートヘアがカッコイイ大人の女性へ変身していました。
ブレイクできなかったのは、どうしてだろう?
”真里子節”はちょっとババくさい?
A○アイドルに見えてしまうところ?
写真は、ベスト盤「ブーケ」(91)

93年、自らインディーズレーベル「blue turtle」を立ち上げ、シンガソングライターに転向。
OLをしながらの音楽活動だった。現在、地下アイドルというものがあるが、アイドル(元アイドル)がインディーズレーベルを出して活動することは、当時、非常に珍しかった。

頑なにひた向きに音楽活動を行っていたようだが、2002年、自身のHPにて、結婚と芸能活動引退を発表。

アイドルとしての活動は、88~91年まで。シングル8枚、アルバム5枚(ベスト含む)を発表した。

2017年にオリジナルアルバム4枚が、ソニーオーダーメイドファクトリーより復刻され、再評価されているひとりである。

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●書籍・CD・DVDなど———————————————————


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