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光GENJI

光…大沢樹生、内海光司
GENJI…諸星和巳、山本淳一、佐藤寛之、赤坂晃、佐藤敦啓
デビュー曲:「STAR LIGHT」(1987年8月19日)
事務所:ジャニーズ
レコード会社:ポニーキャニオン
キッチフレーズ:超新星からのメッセージ

87年の来日ミュージカル「スターライト・エクスプレス」のキャンペーンに合わせ6月に「光GENJI」が結成された。元・イーグルスで、当時は少年隊のバックダンサー「ジャニーズシニア」として活動していた、内海光司、大沢樹生による「光」。諸星和巳、山本淳一、佐藤寛之、赤坂晃、佐藤敦啓の5人組の「GENJI」の2グループが合体して、誕生した。

<メンバーの詳細>

内海光司 1968年1月11日、A型、東京都出身
愛称は「キノッピー」。由来はアニメ「ポールのミラクル大作戦」のキャラクター「キノッピー」に髪型が似ていたため。特技は、剣道とスノーボード。

大沢樹生 1969年4月20日、A型、東京都出身
自ら「目で殺す」と言うくらいの鋭い目つきが特徴。長身にキリッとした顔立ちの「正統派二枚目」。これを活かして、ドラマ「ワイルドでいこう」では、狼男の役をこなしている。

諸星和巳 1970年8月12日、A型、静岡県出身愛称は「かーくん」。天真爛漫な性格で、メンバーの中でいちばん人気者だった。レコードジャケットやポスターなどでも中心に立ち、衣装も他のメンバーとは違うものを身に付けることが多く、グループのアイコン的な存在。

佐藤寛之 1970年8月12日、A型、千葉県出身
温厚な人柄を思わせる外見などから「優等生」的なキャラクターを強調される事が多く、ソロ曲にもそれを裏付けるかのようなバラード曲が多い。

山本淳一 1972年2月28日、B型[、東京都八王子市出身
愛称は「バンジー」。歌声が高く、高音パートを歌うことが多かった。愛称はチンパンジーが由来のため、トークやミュージックビデオ等でオチ担当になることが多かった。

赤坂晃 1973年5月8日、B型、東京都出身
西洋の血を引くハーフのような顔立ちで、クールな二枚目キャラだった。デビュー当時は中学生。労働基準法により、夜8時以降の生出演ができないため、夜の生番組では、「歌の部分のみ事前収録する」「VTRを合成する」などで出演していた。

佐藤敦啓 1973年8月30日、A型、神奈川県出身
メンバー最年少で末っ子キャラだった。諸星に次ぐ二番目の人気を誇っていた。デビュー当時は中学生。労働基準法により、夜8時以降の生出演ができないため、夜の生番組では、「歌の部分のみ事前収録する」「VTRを合成する」などで出演していた。

8月にチャゲ&飛鳥(CHAGE and ASKA)が楽曲提供した「STAR LIGHT」でレコードデビューとなる。ローラースケートを履いて踊り、バック転などもこなすアクロバティックなパフォーマンスが10代の若者にウケ、あっと言う間にスターダムにのし上がることとなった。

●デビュー曲でオリコン初登場1位

「STAR LIGHT」(87/オリコン最高1位・31.8万枚 87年・年間4位)…デビューシングルが初登場1位を獲得し、衝撃のデビューを飾った。変声期前の赤坂の♪むねーにーすーんでる きみのーこーとー…は、この時にしか出せない声、そして、いかにもアイドル!といった感じです。内容は、青春の迷走感?を歌ったものかナ?

他のジャニーズタレントに比べデビューの準備期間が短い彼らがデビュー曲をヒットさせたことに対して、世間は”企画モノ”、”一発屋”と揶揄する声が高かったが、2nd「ガラスの十代」でも1位を獲得。よりレコードを売上げ、人気を決定付けた。

88年も人気はとどまる事を知らず、ポスターをはじめ、缶バッヂなどのグッズも多く出回り、アイドル雑誌もほぼ独占状態で社会現象として取り上げられた。この熱狂振りは人気アイドルをたくさん抱えるジャニーズ事務所でも史上最高と言われる程だった。バレンタインデーにはファンから届くチョコレートはトラック数十台分もあったという。

●人気爆発 社会現象に

「ガラスの十代」(87/オリコン最高1位・68.1万枚 88年・年間2位)…♪こわれそうなものばかり集めてしまうよ…が印象的な楽曲。前作とは違い物悲しいメロディにテンションの高いサウンド。そして、曲後半でローラースケートも衣装も脱ぎ、上半身裸のジーンズ短パンの姿でアクロバティックなダンスを披露する姿からは、悲愴感も漂う。「青春の光と影」の影の部分を歌ったと思われる。

また、「明星(現Myojo)」の歴史の中で最高の売上部数を記録したのは、光GENJIの絶頂期だったという。(彼らの人気がピークを過ぎて、SMAPが人気を獲得するまでの数年間、「明星」は苦難の時代だったそうだ)

この年はレコード売上げの1~3位(「パラダイス銀河」、「ガラスの十代」、「Diamondハリケーン」)を独占し、78年のピンク・レディー以来の快挙を達成し、「パラダイス銀河」で「第30回日本レコード大賞」を受賞。「紅白歌合戦」には初出場にしてヒットメドレーを披露となった。

●デビュー2年目 「日本レコード大賞」受賞、「紅白歌合戦」初出場

「パラダイス銀河」(88/オリコン最高1位・88.6万枚 88年・年間1位)…♪ようこそ~ここへ…でお馴染みの光GENJIの最大のヒット曲。ワクワク感溢れるドリーミーな曲で、購買層を広げた。当時、人気のためほとんどの店で入荷と同時に売り切れ、新聞紙上にお詫びの広告が掲載されたほど。「第30回日本レコード大賞」も受賞(写真右)。翌年の第61回選抜高等学校野球大会の入場行進曲としても使われ、その後も高校野球の応援ソングとして親しまれています。

前年が人気の絶頂期であったが、89年も、リリースした「地球をさがして」、「太陽がいっぱい」2つの楽曲をヒットさせている。特に後者は、作詞・作曲に大江千里を迎え、話題となったほか、「第20回日本歌謡大賞」、「第15回日本テレビ音楽祭」などの音楽祭で大賞を獲得している。

●「日本歌謡大賞」、「日本テレビ音楽祭」などで大賞受賞

「太陽がいっぱい」(89/オリコン最高1位・69.1万枚 89年・年間4位)…「第15回日本テレビ音楽祭」、「第20回日本歌謡大賞」、「第18回FNS歌謡祭」、「第15回全日本歌謡音楽祭」でいずれも大賞を獲得。だが「第31回日本レコード大賞」では金賞獲得に甘んじた(大賞受賞はWinkの「淋しい熱帯魚」)。「ザ・ベストテン」最終回では、2位にランキングされた。末期の番組、いや歌謡界を大いに盛り上げてくれました。

80年代半ばから後半にかけて歌番組が曲がり角を迎えた。ポップスは若者、歌謡曲・演歌は中高年とユーザーが別れ、以前よりも視聴率が取れなくなり、歌番組はリニューアルのため試行錯誤を続ける。しかし、回復にならず、「ザ・ベストテン」や「夜のヒットスタジオ」などの音楽番組が相次いで終了となる。それに伴い、アイドルたちも活躍の場が減少。それは、人気絶頂の彼らにも影響を及ぼした。また、元フォーリーブスの北公次によるジャニーズ事務所の暴露本「光GENJIへ」の影響もあったのか、勢いを徐々に失っていく。

8th「荒野のメガロポリス」で連続1位記録がストップとなる。その後、勢いは落ち着いた感があったものの楽曲をリリースするとオリコン上位にランキングされ、安定した人気を保っていた。また、話題となる楽曲にも恵まれた。

92年には、JOC日本オリンピック委員会広報アドバイザーに任命され、バルセロナオリンピックの応援ソングとして「リラの咲くころバルセロナへ」をリリース。(94年には、リレハンメルオリンピック応援ソングとして「BRAVO!Nippon〜雪と氷のファンタジー〜」をリリースしている。)

93年には「勇気100%」がアニメ「忍たま乱太郎」の主題歌に起用された。

●アイドル冬の時代 話題曲

「リラの咲くころバルセロナへ」(92/オリコン最高2位・15.9万枚)…♪君は夏のマタドール…が印象的な楽曲。バルセロナオリンピックの応援ソングのほか、松下電器産業(現:パナソニック)のエアコン「エオリア」CMソングでもあり、耳にする機会に恵まれた。”マタドール”とは”闘牛士”のことネ。CMでは”マタドール”を”スクロール”と変えて歌われました。

「勇気100%」(93/オリコン最高7位・10.9万枚)…NHKアニメ「忍たま乱太郎」の主題歌。運動会の行進やダンスの題材に使われることも多いという。また、事務所の後輩らや声優等によってリリースされるなど、歌い継がれ、リリース当時の売上は地味ながらも、広く愛される曲となった。

94年、大沢樹生、佐藤寛之が脱退し「光GENJI SUPER 5」にグループ名を変更し、活動して行くこととなる。

しかし、

95年9月、解散

ラストシングル リリース

「Bye-Bye」(95/オリコン最高13位・9.4万枚)…残念ながらラストシングルは13位までの上昇となり、29作TOP10入りならず!名古屋市総合体育館・レインボーホール(現・日本ガイシホール)でのライブを最後に「卒業」(解散)した。解散理由は、諸星が後年、「仲が悪かった」「みんな疲れていた」と語っている。
今でこそ、アラフォーでもアイドルですが、このころは20代後半になったら、アイドル卒業というムードでした。そんなことも解散の理由かもしれません。

87年のレコードデビューから95年解散までの8年間で、1000億円以上稼いだという。データとともに振り返ってみると…

総売上枚数:1218.4万枚
シングル29作品 755.1万枚
アルバム23作品 463.3万枚
1位獲得作品数:シングル10作/アルバム5作
TOP10獲得数:シングル28作連続/アルバム21作連続

特に昭和から平成(87年~89年の3年間)にかけて、人気は凄まじく、ほぼ同期の男闘呼組や忍者が陰に隠れるような感じであった。彼らが時代の中心にいて、スーパーアイドルだった。

<解散後 メンバーの詳細

解散後はそれぞれの芸能活動を継続していく。
特に波乱万丈な人生を歩んでいるのが、赤坂、山本、脱退した大沢である。

赤坂は2度の覚醒剤逮捕、山本は異性問題や芸能以外の仕事に転身など話題に事欠かない状態。また、脱退した大沢も実子問題など、穏やかではないスキャンダルに見舞われている。

赤坂晃…解散後は、ジャニーズ事務所に残り、”姉さん、事件です!”のセリフでお馴染みのドラマ「HOTEL」にて主人公の後輩のベルボーイ役を演じた(写真)。また、ミュージカルや舞台にも挑戦し、俳優業を邁進していたが、07年と09年に2度の覚醒剤取締法違反で逮捕され、ジャニーズ事務所より解雇される。15年に舞台で芸能界復帰を果たした。

山本淳一 …解散した後は、ジャニーズ事務所に残り、ソロ活動を行う。 01年、女優の遠山景織子との間に長男が誕生するも、入籍をしないまま破局となる。 翌年には事務所を退所し、バナー広告の営業マンをしていたという。12年に歌手活動を再開するが、短期間で活動を停止。14年には、道後温泉で働いていることが報道されるものの、そのとき一緒だった妻から雑誌でヒモ同然の生活を暴露されている。16年にはプロレスラーとしてデビューも…。 写真は12年リリースのCD 「少年」。

大沢樹生…94年に光GENJIを脱退し、 ジャニーズ事務所を退社する。その後は俳優、歌手として活動。96年に喜多嶋舞とできちゃった結婚するが、05年に離婚。その後、DNA鑑定により喜多嶋が出産した息子と大沢との間に血縁がないことが発覚し、実子裁判となり、話題となった。写真は、95年発表のヘアヌード写真集「Trip」

光GENJIのメンバーの中では内海光司と佐藤敦啓(現:佐藤アツヒロ)が現在もジャニーズ事務所所属で、舞台を中心に活動している。脱退した佐藤寛之も、ソロでCDデビューし、TVで見ることはないが、ライブ活動やイベントを中心に自身が望んだ音楽活動を地道に行っている模様。

いちばん人気だった諸星はタレント活動し、再結成の意欲を語っている。
近年、一部のメンバーが一緒にテレビやイベントに出演することもあり、再結成はゼロではなさそうであるが、実現の話は聞こえてこない。

●書籍・CD・DVDなど———————————————————


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