• 80年代アイドルを紹介しています。

酒井法子

本名:酒井法子
1971年2月14日 生まれ
福岡県福岡市出身 B型
デビュー曲:「男のコになりたい」
(1987年2月5日)
事務所:サンミュージック
レコード会社:ビクター
キャッチフレーズ:おキャンなレディー

1985年に資生堂主催の「’86・ミスヘアコロン・イメージ・ガールコンテスト」に出場し、「BOMB!賞」を獲得したことが、芸能界入りのきっかけとなる。審査の際に「特技」として、物まねを用意していたが、他の出場者と被るため、落語の“寿限無”を博多弁で唱えたところ、芸能事務所サンミュージックの専務が「彼女の才能を試してみたい」との希望で急遽「BOMB!賞」が用意されたという。

「’86・ミスヘアコロン・イメージ・ガールコンテスト」…グランプリは水谷麻里チャン、準グランプリ岡谷章子チャン、Momoco賞は畠田理恵チャンが受賞。歌唱審査では志村香の「曇り、のち晴れ」を歌った。

86年にドラマ「春風一番!」に出演、テレビ番組「モモコクラブ」にレギュラーとして登場し、番組の中心メンバーとして人気を博す。翌年のレコードデビューに向けて、VHDソフトがリリースされ、大々的なプロモーションがされた。この時期から「のりピー」と自称し、同時に、「うれピー」とか「たのピー」という「のりピー語」を用いていた。

「モモコクラブ」…雑誌「Momoco」の特別コーナー「モモコクラブ」を発端とする番組。これを機にデビューしたアイドルは、西村知美杉浦幸島田奈美、畠田理恵、伊藤美紀など。デビュー前から、「やっぴー!」とのりピー語で挨拶するのりピー。ちなみに、やっぴーはこんにちはの意味デス。VHDソフト「YUPPIE」のなかでは、「お願いダーリン」という楽曲で、一足早く歌声を披露している。写真はお芝居「エイリアンハンターP」

87年2月、「男のコになりたい」をリリースし、アイドル歌手として正式に活動をし始めると同時に、テレビ、雑誌など各メディアに多く取り上げられる。彼女の操る「のりピー語」たる不思議な言葉に注目が集まった。「のりピー語」は耳が痒くなるというアンチも多くいたが、瞬く間に知名度、人気を獲得し、デビュー曲から「ザ・ベストテン」、「歌のトップテン」にもランキングされ、幸先のいいスタートを切った。

●個性派アイドルとしてデビュー

「男のコになりたい」(87/オリコン最高6位・4.8万枚)…人気番組「ザ・ベストテン」に登場。Pi Pi と歌詞の中にものりピー語らしきモノが…。個性が活かされた楽曲。ちなみに特技は、指の第一関節が曲がること。今で言う”不思議チャン”としてのデビューでした。同時期にお菓子メーカー・グリコのCM「キャンレディ」に登場。

彼女が中学の時から描いている「のりピーちゃん」も話題となり、音楽番組出演時にはセットに起用されることも多く、デビュー時より、のりピーワールドが炸裂。この年の新人は、立花理佐BaBe畠田理恵、坂本冬美、石田ひかり、渡瀬麻紀、森高千里など粒揃いであったが、彼女のキャラクターは際立っていた。

●オリジナルキャラクター”のりピーちゃん”

中学生の頃に自ら生み出したというキャラクター「のりピーちゃん」は、毛が三本。誰でも描けそうな気がしますネ。しかし、これが、のちほどグッズにと活用されるワケです。また、日本自動車工業会の交通安全ポスターにも使われマシタ。

独自の世界を作り上げ、活動は活気付いていき、年末の新人賞レースでは、多くの音楽祭で最優秀新人賞を獲得。総本山「第29回日本レコード大賞」でも最優秀新人賞の有力候補として目されていたが、立花理佐が受賞となった。

●新人賞レース…最優秀新人賞候補

「渚のファンタシィ」(87/オリコン最高6位・6.0万枚)…丸い文字がアイドルの必須条件でした。「ザ・ベストテン」では3位まで上昇。「第6回メガロポリス歌謡祭」最優秀新人賞を獲得。「ノレないTeen-age」(87/オリコン最高6位・6.5万枚)…♪ノレない青春お断りッと啖呵を切って、少しイメージチェンジ。年末の新人賞での勝負曲。リリースされた曲の売上げ枚数がなんとも寂しい値ですネ…ベストテン内には、2~3週滞在で、圏外へ。しかし、この時代はそれでも大健闘なのでゴザイマス…。

レコードからCDへの移行期であり、レコードが売れない時代であった。また、音楽のジャンルも細分化され、ランキング番組の上位に進出したり、賞レースに出場していても大衆に認知されないヒット曲というもの存在するようになった時代。彼女の楽曲もご他聞に漏れずであった。

彼女がリリースした曲で広く認知された楽曲となると4thシングル「夢冒険」であろう。NHK「アニメ三銃士」のオープニングテーマに起用され、88年の第60回選抜高等学校野球大会で入場行進曲に選定された。

●NHK「アニメ三銃士」オープニングテーマ&「第60回選抜高等学校野球大会」入場行進曲

「夢冒険」(87/オリコン最高4位・6.9万枚)…NHK「アニメ三銃士」主題歌。若者を中心にヒットとなり、第60回選抜高等学校野球大会で入場行進曲に選定。売上げ枚数は地味ですが、耳にする機会も多かったため、酒井法子の初期の代表作となっている。

80年代後半よりバンドブームが到来。それは「アイドル冬の時代」の到来でもあった。本田美奈子や菊池桃子、渡瀬麻紀などアイトドルのなかからもバンド活動を行うものも現れた。

アイドルを歌よりもトーク、司会やアシスタントでTV出演させることが多くなっていた。お笑いに走るバラエティーアイドルも登場し、アイドル以上の人気を獲得する者も。また、グラビアで活躍するグラビアアイドルが勢いを持ち始めたのもこの頃。彼女はアイドルらしいアイドルとして活動し、イメージが活かされる曲をリリースし、気を吐く存在となっていた。

「GUANBARE」(88/オリコン最高7位・8.2万枚)…これでガンバレと読むのデス。ユニークな彼女らしいタイトルですネ。
「1億のスマイル〜PLEASE YOUR SMILE〜」(88/オリコン最高2位・9.1万枚)…♪気合入れて恋したいの…が印象的な「Ban16」CMソング。
「のりピー音頭」(88/オリコン最高28位・3.3万枚)…カセットのみの発売。

キャピキャピ(ピーピー?)と元気なイメージの彼女はCMにも多く登場。芸能活動に加え、「のりピーちゃん」を活かした漫画の連載、グッズの販売も行う。
タレントショップ「NORI-P HOUSE」は、原宿、恵比寿、名古屋、京都、そして、富士山の8合目にも開いていた。活動は多岐に渡りマルチタレントぶりを発揮。

●CM

ライオン「Ban16」(88)…制汗デオドラントを使用した感想をのりピー語で伝えるという面白いCM。
公共広告機構(現・ACジャパン) 「交通安全キャンペーン」(90)…89年に父親を事故で亡くしていたのりピーが交通安全を訴えかける印象的なCMでした。

高校を卒業した89年春ごろから、リリースする楽曲も本人の佇まいも変わり少女から女性へ…声のトーンも落ち着きのりピー語も徐々に聞かれなくなっていた。本人も「20歳くらいから似つかわしくなくなった」と語っている。それでも、デビュー当時からの「のりピー」のイメージを損なわず、アイドル冬の時代のなか「最後のアイドル」と呼ばれることもあった。

「Love Letter」(89/オリコン最高5位・9.1万枚)…尾崎亜美からの提供曲。突然「イメージチェンジ!」、「脱アイドル」などと力んで周囲を驚かせることもなく、とても自然な形で元気印少女からオトナへと変化していった。大人っぽくなったがアイドルの雰囲気も残し「最後のアイドル」と呼ばれておりましたね。ほかにそう呼ばれたのは、田村英里子チャン、高橋由美子チャンなど。

絶え間なく各メディアに出続け、「のりピー」として愛され、順風満帆のように見えるものの名刺代わりになるような作品に恵まれずにいるのが現状であった。

●ベストアルバムでオリコン1位を獲得

「Singles 〜NORIKO BEST〜」(90/オリコン最高1位・7.9万枚)…ベストアルバム。因みにシングルでの1位獲得は無し。「ALL RIGHT」までの13枚のシングルを収録。存在感はあるものの大ヒットはなく、トップアイドルと呼ぶにはかなり物足りないという立ち位置。この時代のトップアイドルは、工藤静香、中山美穂、浅香唯、南野陽子が「アイドル四天王」と呼ばれ、人気を博していた。のりピーは第2グループ。

伸び悩んでいる彼女は、90年代当時、日本の芸能界が目を向けていなかった中国、台湾、香港など中国語圏各地においての活動を始め、日本以上の人気と評価を獲得することに成功した。

●中国、台湾、香港などで人気者に

中国で人気となったのは、大手家電メーカーCMで「夢冒険」を歌う姿が注目を浴びたことだという。その後、アルバム「微笑」をリリース、50万枚の大ヒットとなった。中国でアルバムをリリースした日本人はのりピーが初めてだそう。のりピーって凄い!写真は「スタジアム・ライブin台湾」

その後、日本における芸能活動でも転機が訪れる。

酒井法子②へ続く…

●書籍・CD・DVDなど———————————————————


コメントを残す