• 80年代アイドルを紹介しています。

小沢なつき

本名:山下純子
1972年4月19日 生まれ
東京都出身 A型
デビュー曲:「追いかけて夏」(1987年6月21日)
事務所:K-HOUSE
レコード会社:ソニー
キャッチフレーズ:聖少女 小沢なつき

1986年、事務所に新宿でスカウトされ芸能界入り、ドラマ「パパ合格ママは失格」で女優としてスタートを切る。翌年6月に「追いかけて夏」でレコードデビューを果たした。このデビュー曲はドラマ「なかなか!ドジラんぐ」の主題歌として起用され、本人もアイドル歌手・小沢なつき役で出演していた。

●歌手デビュー

「追いかけて夏」(87/オリコン最高27位・2.7万枚 )…タイトルが「パンドラの小鳥」だったが、直前に変更。同期アイドルには酒井法子立花理佐BaBe仁藤優子畠田理恵など。歌でのTV露出はちょっと少なめ?
同じレコード会社・ソニーからは、伊藤智恵理伊藤美紀がデビューした年。なつきチャンは3番手扱い?

歌手デビューとほぼ同じくして、少年隊主演の映画「19(ナインティーン)」でヒロインのミヤコとして出演。また、この年にはドラマ「制作2部青春ドラマ班」、「ママの黄色い子象」、映画「ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎行進曲」にも出演している。

少年隊主演映画
「19(ナインティーン)」に
登場

少年隊主演の映画「19(ナインティーン)」(87)…人気アイドル・少年隊との出演は将来を嘱望されたアイドルという趣だった。

「クリスマスには間に合わせたい」(87/オリコン最高35位 1.3万枚)…歌い踊るなつきチャン。メルヘンチックな小物のオンパレード。ちょっと子供っぽいかナ?と思う歌詞だけれども。なつきチャンは当時、まだ中学生だモンね。

88年2月にはヒロインとして出演した映画「山田村ワルツ」が公開。アイドル歌手と女優業の兼業をするアイドルが主流となっていた時代である。女優として、全国区とまでは言えないが、まずまず順調。しかし、歌手としてのヒット曲はおあずけ状態であった。

歌手デビュー前に本名で活動していた頃より、美少女としてアイドル愛好家のなかでは、有名だった彼女。当然のごとく、大手企業のCMキャラクターにも起用されている。ロート製薬「メンソレータムキャンパスリップほそみ」、江崎グリコ「パナップ」、NECなどに登場。また、グラビア人気も高かった。

●映画

「山田村ワルツ」(88)…天宮良主演。深刻な嫁不足に悩む山田村を舞台に独身の青年団が起こす集団見合い劇を描く。脚本は「私をスキーに連れてって」の一色伸幸、監督は「恐怖のヤッチャン」の金子修介が担当。東京から来たロックバンドに米米CLUB、見合いの女子たちに川田あつ子、新井薫子がチョイ役で出てくるのも見どころ。

●グラビア

アイドル雑誌「ORE」でも活躍。南野チャン曰く「妹みたい」と。チョットぶっ飛んだキャラってこと?フォトジェニックな魅力を発散していました。
右は「GORO」での水着姿。

そんな状況下、ドラマ「花のあすか組!」に小高恵美石田ひかりとともに主要キャストとして出演となる。4th「きれい?」が挿入歌として起用され、歌手としても飛躍のチャンスが到来!

このドラマはB級アイドルだった南野陽子、浅香唯を一気にヒット曲を連発するトップアイドルに押し上げた「スケバン刑事」シリーズの延長線上にある番組であった。

●ドラマ「花のあすか組!」

「花のあすか組」(88)…全東京の中学校征服を企む闇の組織全中裏(全国中学裏番長連合)。全中裏に支配された中学へ転校してきたあすか(小高恵美)が、たったひとりで「あすか組」を立ち上げ、戦いを挑む。

恵美チャン、ひかりチャンのほかに、B級アイドル、新人アイドル、アイドルデビュー待機組など可愛い女子たちがた~くさん出演。
本田理沙チャン、和久井映見チャン、千葉美加チャン、田山真美子チャン…アイドル図鑑のような華やかなドラマでした。

小高恵美チャン演じるあすかのマブダチのはぐれスケバン・ミコ役。飄々としたキャラクターを見事にコミカルに演じる。
歌唱時は「何処を見て歌っているの?」というくらいに緊張している様子で、心配になる状態であったが、演じる才はあったよう。挿入歌「きれい?」(88/オリコン最高23位 1.1万枚)でゴールデンタイムの音楽番組「夜のヒットスタジオ」に出演するなつきチャン。上手くないけど、耳障りのいいお声で歌唱。

「スケバン刑事Ⅲ」で風間三姉妹が楽曲リリースをしたように、こちらの3人も「あすか組」として「悲しげだね」をリリースする。方々で話題曲として取り上げられ、人気音楽番組に多数出演。しかし、ヒットと呼べるまでの結果は出せず…。

TVドラマの出演者がそのまま楽曲を発表するという手法で、”あすか組”として「悲しげだね」(88/オリコン最高12位 5.2万枚)をリリース。上記は「ミュージックステーション」出演時のもの。♪こころを重ねていたい~と向き合って重ねております。

あすか組で本格ブレイクを期待したものの思ったほどの成果はあげられず、チャンスは潰えたように思えたが、ドラマ「魔法少女ちょうかなぱいぱい」の主演に抜擢される。コメットさんを彷彿させる子供向けドラマであるが、チャンスが再び到来した。

しかし、撮影を放棄して途中降板となる。そして、引退。

アイドル歌手としては、6枚のシングル、2枚のアルバムを残した。

急遽、島崎和歌子を起用し、後番組「魔法少女ちゅうかないぱねま!」をスタートさせる。この途中降板については、”妊娠”、”駆け落ち”など、いろいろな憶測がされた。後年、深夜番組「ロンロバ!ハイティーンブギ」で降板理由について聞かれた際、「忙し過ぎてわけがわからなくなり、マネージャーと駆け落ちまがいのことを計画したが待ち合わせ場所に相手は来なかった」と話している。

●途中降板&引退

「魔法少女ちゅうかなぱいぱい! 」(89)…ブレイクのチャンスが到来!今度こそモノにしてネ、なつきチャン!ファンから、そんな声が聞こえてきそうである。ところがどっこい!まさか、マネージャーと駆け落ちまがいなことをして芸能界から去ってしまうとは…(涙)
サヨナラ、なつきチャン…。

しかし、93年、彼女は帰ってきた。

復帰作は写真集「早熟」。もちろん、ヌード写真集。ヘアヌード作品である。

写真集「早熟」(91)…表紙から”いちごがポロリ”…しそうで、してない、してる?してますね…
発売2週間で14刷、15万部の大ヒット。復帰した際に、当時の所属事務所は引退の話についてはノーコメントとしていたが、映画「山田村ワルツ」の金子修介監督の著書「失われた歌謡曲」で”結婚引退離婚裸復帰”と記され、ヌード掲載の雑誌「FLASH」はバツイチと見出しにつけていた…という。

彼女が芸能界を去った89年ごろより、アイドルシーンは氷河期に突入。アイドルはバラエティ・アイドルやセクシーアイドルなどが活躍し、純然たるアイドルは苦戦を強いられている頃。アイドルを廃業した者は、本格派歌手、俳優、タレントなどに活路を見出すが、転身できる者はひと握り…。

そんななか、91年に篠山紀信撮影の女優・樋口可南子の写真集「water fruit」 からヘア解禁となり、宮沢りえもヌード写真集「Santa Fe」を発表、10代の現役トップアイドルの健全なヌードは、ヌードへ対する見方を変え、女性自身の意志による自己表現であるという考えも聴かれるようになった。アイドル性を保ったヌードが多く発表されるようになっていた時代。

●”写真集ブーム”に先駆けて発表された作品たち

元シブがき隊・本木雅弘「White Room」(91)…雑誌「an・an」でヘアヌードを披露し、剛毛気味のヘアが話題に。男性ヌードは珍しい上に、表紙の恍惚たる表情が話題となった。(○ッた時の表情を撮影してほしいと本木より申し出があったそう…(汗)アイドルから大人の俳優へと脱皮に躍起になっている頃。

宮沢りえ「Santa Fe」(91)…90年のカレンダーではふんどし姿を披露し、話題となり、その後も91年のカレンダーでのシースルーセーラー服、24時間テレビのポスターなど肌を露出することで話題をさらうことが多く、「いつ脱ぐのだろう?(トップアイドルが脱ぐわけねぇ)」とは言われていたが、まさか人気絶頂期に本当に脱ぐとは…”ぶっとび~!”新聞広告でいきなり発売予告が行われ話題に。155万部の売り上げ。健全なヌードをもっと目に触れさせる機会を増やし、性に対する正しい目が持てるように…という理由で、学校図書館に入れようという動きもあった。

その後も数冊の写真集を発表し、さらに体当たりのラブシーンを映画やVシネマで披露となる。主役級での出演ではあったが、単刀直入に言ってしまえば、脱ぎ要員といった状態。アイドル時代のようにTVドラマへ活動の場を戻すことも無く、Vシネマ、グラビア周辺での活躍。95年頃より、再び姿を消してしまった…。

●Vシネマで活躍

「Zero Woman」(95)…人気シリーズに主演。シャワーシーンに、ベッドシーン…なつきチャンのおヌードがたくさん頂戴できます。全裸で菊池孝典(現:樋口隆則)サンと激しく絡み、喘いでます…(滝汗)、”聖少女”だったなつきチャンはもういません。主題歌「Night Line」(96)も発表、久しぶりに歌声を聴かせてくれた。

そして、2004年4月、衝撃的な転身を彼女は遂げた。

AV女優としてデビュー

男性週刊誌やグラビア雑誌では大きく扱われ、何本かの作品に出演となった。しかし、すぐに一旦AV引退を宣言する。だが、翌2005年末に復帰を果たすこととなる。そして、再び休業状態に…。(何回、引退と復帰を繰り返したことであろう。)

14年5月、品川スキンクリニック立川院にて美容外科の施術を受け、その経過を書き記したblogをスタートするものの、8月を最後に止まり、現在の状態を知ることはできない。

●書籍・CD・DVDなど———————————————————


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