• 80年代アイドルを紹介しています。

島田奈美

本名:島田奈央子
1971年2月1日生まれ O型
東京都練馬区出身
デビュー曲:「ガラスの幻想曲(ファンタジー)」
(1986年5月21日)
事務所:メリーゴーランド
レコード会社:日本コロムビア
キャッチフレーズ:スイートでキュートな15歳

幼少期にスカウトされ、「モス・ボックス」「ママ・ジューサー」などのモデルを行う。しかし、父親の反対のため2年半程で辞めている。また、家族でテレビ番組「クイズ!100人に聞きました」に出場し、放送を見た芸能事務所よりスカウトを受けるが、結局、断ることとなった。

しかし、84年の映画「パンツの穴 花柄畑でインプット」のオーディションに応募し、準優勝。本名名義で出演、85年に雑誌「Momoco」3月号に登場する。なお、この雑誌をきっかけにアイドルとなった西村知美杉浦幸と共に「桃組3人娘」と呼ばれるようになる。

86年5月に「ガラスの幻想曲(ファンタジー)」でデビュー。同じ頃にTBS系ドラマ「お坊っチャマにはわかるまい!」にて、木梨憲武(とんねるず)の妹役でドラマデビューも果たしている。しかし、その後、女優活動はなかった。

「ガラスの幻想曲(ファンタジー)」(86)…幸、知美に続いてデビュー。ふたりの時より若干華々しさに欠けたようであるが人気番組TBS「ザ・ベストテン」の”今週のスポットライト”のコーナーに出演。

87年2月「Free Balloon」(オリコン最高9位、4.5万枚)がヒットしたのをきっかけに、ランキング番組に顔を出すようになるが、”アイドル冬の時代”のなか、一般的な知名度は上げられなかった。

4nd「Free Balloon」で「ザ・ベストテン」10位に初登場し、♪生まれ変わりたい 新しい自由な私へと…と熱唱!後に驚きのメタモルフォーゼを成し遂げる彼女らしいかな?目標は”ジョン・レノン”というのもネ。唇を尖らせて歌うのが奈美チャンスタイルです(笑)

「ザ・ベストテン」には「内気なキューピッド」(87)、「パステル・ブルーのためいき」(87)、「タンポポの草原」(88)、あとは「NO!」(88/後半部に写真掲載)で登場。各1~2週ランキングされ、圏外へ…。この時代はそれでも大健闘!

アイドルとしては珍しく、水着グラビアの出演は基本的に行っていなかった。本人も「モデルではない」として断っていたという。

●CM

クレアラシルのCMは数パターンあり。お芝居&水着姿を披露。「水着には一度もなっていない」と思われているが、映画「パンツの穴」のオーディションの時と、クレアラシル「プール編」の2度でなってる。

アーティスト志向が強く、2ndアルバム「ほほえみをあなたに」収録の「Twinkle Christmas」で作詞に挑戦。5nd「VIA AIR MAIL」は全曲の作詞を手がけている。
後期のアルバムはダンスミュージックを意識した楽曲が多く、ノンストップリミックスのアルバムもリリース。

今までとは趣の違う「NO!」(88)。最後の「ザ・ベストテン」登場となった。この頃よりアーティスト志向に走りはじめ…。ラストシングルとなった「もっと…ずっと…I LOVE YOU」(90)も本人作詞のダンスミュージック。ダンサーを従えて、ダンス!スイートでキュートなザ・アイドルだった奈美チャンはいずこへ?

「FINAL CONCERT ~FAREWELL PARTY=the 5th Nami’s Day~」(90)…ファイナルコンサート。自分の意思での引退ではあるが、応援してくれたファンとのお別れはやはり辛いもの…涙でさよならの手を振る。(7月30日を「奈美の日」とし、ファンとの運動会を毎年開催したり、引退日も同日付とするなど「ナミ」拘っていた。「ガラスの幻想曲」の商品番号はAH-730、ファンクラブの電話番号も末尾が「0073」であった。)

90年7月30日、MZA有明のファイナルコンサートを最後に、自らの意思でアイドルを引退している。
シングル14枚、オリジナルアルバム10枚を残した。

アイドル歌手としての引退後、「CDジャーナル」のCD評の仕事をきっかけに音楽ライターとして歩み始める。現在は、ソウルミュージックやクラブジャズなどといったジャンルを中心に、音楽雑誌などで執筆活動をおこなう他に、DJ、音楽イベント、CDのプロデュースも行っている。

●書籍・CD・DVDなど———————————————————

●参考文献など————————————————————-

青い鳥の感傷 島田奈美


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