• 80年代アイドルを紹介しています。

西村知美

本名:西村知美
 1970年12月17日生まれ O型
山口県宇部市出身
デビュー曲:「夢色のメッセージ」
(1986年3月20日)
事務所:芸映
レコード会社:東芝
キャッチフレーズ:一秒ごとのきらめき…知美

1985年4月、雑誌「Momoco」主催の「第1回ミス・モモコクラブ」でグランプリを受賞。
なお、この雑誌をきっかけにアイドルとなった杉浦幸島田奈美と共に”桃組三人娘”と呼ばれ、佇まいや拙い歌唱が菊池桃子に通じるものがあり、ポスト桃子的に売り出された。

「初めての東京」と山口なまりでお話する、デビュー前の初々しい知美チャン。

86年3月に映画「ドン松五郎の生活」で銀幕デビューを果たすと同時に主題歌「夢色のメッセージ」で歌手としてもデビューし、一躍人気者となる。おニャン子旋風が吹き荒れていたなか、その対抗勢力の一人として健闘。

映画「ドン松五郎の生活」(86)…華々しくデビュー。

「あざといものはことはしたくない」というレコード会社プロチデューサーの方針で、前時代的であるが「夢」をテーマの楽曲をリリース。歌唱力は難アリアリであるが、透明感溢れる清々しい歌声は、「夢」という甘く儚いキーワードにぴったりマッチしていた。

シングル夢三部作(1st「夢色のメッセージ」、2nd「見えていますか、夢」、3rd「わたし・ドリーミング」)、1stアルバム「夢色の瞬間(とき)」。(NHK朝の連続テレビ小説「ノンちゃんの夢」に主人公の妹役で出演。これは関係ないか…)

「夢色のメッセージ」(86/オリコン最高2位・17.9万枚)…第12回日本テレビ音楽祭・新人賞、第28回日本レコード大賞・新人賞を受賞している。なお、前者の「新人賞」は他の音楽祭の「最優秀新人賞」に該当するものである。

80年代後半は”アイドル冬の時代”。そのため最盛期はデビューから88年ごろまでであり、徐々にレコードセールスは減少するものの94年まで歌手活動を継続し、計22枚のシングルをリリースしている。

●CM

大手のCMに登場!写真は東芝「シュガーL」、ライオン「ページワン」。ほかに日産自動車、ハウスなど。

アイドルが厳しい時代、純粋無垢な正統派アイドルとして気を吐いてくれていた。89年には姉が熱烈なファンに誘拐される事件も起きている。

顔のラインもシャープに女らしくなった知美サン。歌う楽曲にも変化が…。
中原めいこ作詞、作曲「眠り姫」(89)、松任谷由実作詞、作曲「愛にDESPERATE」(89)、野村義男作曲「グレイのすきま」(90) 前2作品は中原めいこ、麗美のカバー曲。80年代末はカバーブームでしたネ。

90年代はアイドル時代から垣間見えていた人とズレ気味の独特の感性、漫画好き、資格マニアなどの面が注目され、バラエティ番組、CMなど多方面で活躍するバラエティ・アイドルに。02年、日本テレビ「24時間テレビ」では、チャリティーマラソンランナーに抜擢され、話題に。天然ボケキャラとしての活躍が鮮烈ではあるものの、手話CM、薬物乱用防止運動(ダメ。ゼッタイ。)のキャンペーンガールなど公益性の高い活動にも携わっている。

また、95~96年には、ヒットドラマ「星の金貨」、「続・星の金貨」に出演、主人公の友人役で出演し、女優業も精力的に取り組んでいた。

「星の金貨」(95)…酒井法子主演の高視聴率ドラマ。親友の看護師・園子チャンを熱演!良い味出してました。みなさん、覚えてますか?大沢たかお、竹野内豊がブレイク。

97年、元タレントでCHA-CHAの西尾拓美と結婚。なかなか子宝に恵まれず、不妊治療を試みた期間を経て、03年に長女を出産。昨今は、夫や娘と一緒の出演も多くみられる。

「さんまのからくりTV」レギュラー(92~96)で天然炸裂。ニックネームの「とろりん」はトロくさいが由来だとか…。夫(巧美サン)、娘(咲々チャン)と「家族のキズナ歌合戦」(16)出演。

12年には、同じ頃にアイドル活動していた南野陽子・森口博子とユニット「Blooming Girls」を結成し久しぶりに歌手活動も行っていた。いかにもアイドル的な甘さが魅力だった少女も16年にはデビュー30周年を迎えた。

●関連You Tube———————————————————

●書籍・CD・DVDなど———————————————————

●参考文献など————————————————————–


コメントを残す