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浅香唯

本名:川崎亜紀
1969年12月4日生まれ A型
宮崎県宮崎市出身
デビュー曲:「夏少女」
(1985年6月21日)
事務所:六本木オフィス
レコード会社:ワーナーパイオニア
キャッチフレーズ:フェニックスから来た少女

1984年、「少女コミック」主催の「ザ・スカウトオーディション’84」で”浅香唯賞”を受賞したことが芸能界入りのきっかけである。

”浅香唯”というのは「少女コミック」連載の「シューティング・スター」の主人公の名前であり、審査員だった作者の大山和栄が「“浅香唯”はこの子しかいない」と、彼女を一目見た瞬間から決めていたことによる受賞であった。
オーディションに応募した理由は、副賞の“赤いステレオ”欲しさで芸能界に入ることは全く考えていなかったという。オーディション時に応募の理由を問われると「赤いステレオが欲しくて来ました」と堂々と答えていたという。

受賞するとデビューが約束されていた訳ではなかったため、普通の中学生として過ごしていたが、芸能プロダクションから次々とスカウトの電話がかかってくる。
そんなところ、家族に「やっていけるはずない」と言われたのをきっかけに、「やってみたい」と思うようになったという。

85年春、中学卒業と同時に上京し、TBSの生放送番組「EXPOスクランブル」にレギュラー・アシスタントとして出演、「夏少女」で歌手デビューする。

「夏少女」(85/オリコン100位圏外)…可愛いけど、いまひとつ垢抜けませんね。「夕やけニャンニャン」が裏番組で放送していたこともあり、かなりマイナーな番組だったという。後にチャームポイントとなる宮崎訛り全開だったそうな…。
ジャケットはもっとカワイイ写真がなかったのか~と。本人も反対したんだけど、コレになってしまったとか。まぶしくてこんな顔になったしまったとのこと。ぽっちゃりしていたので、”白ブタガエル”と呼ばれたそうな。

この年の新人は斉藤由貴、中山美穂など女優として人気を獲得してからデビューした者や松本典子、芳本美代子、橋本美加子、本田美奈子など大手事務所の王道路線の者。夏にはおニャン子クラブも登場。アイドル史的に見ると分岐点となった年とも言われている。
2nd「ふたりのMoon River」で新人賞レースに参戦し、存在をアピールするものの苦戦を強いられる。

●新人賞レース

「ふたりのMoon River」(85/オリコン100位圏外)…新人賞レースに参戦。「日本歌謡大賞」予選では、本選出場枠7名のところ候補者8名が呼ばれ、唯チャン1人だけ見事に落選…。コレには天真爛漫な唯チャンもヘコんだようだった。
85年デビューのビッグアイドルといえば、斉藤由貴、南野陽子、中山美穂、そして彼女。この年の賞レースを盛り上げたのは、本田美奈子、芳本美代子、松本典子、セイント・フォー、岡本舞子、石野陽子、井森美幸、橋本美加子など。新人賞を獲りながらも歌手として活躍しなかった人もチラホラ。

デビュー年の売り上げが芳しくなかったためか翌年、3rd「ヤッパシ…H!」、4th「コンプレックスBANZAI‼」ではコミカル路線に挑戦。5th「10月のクリスマス」はしっとりとした趣の楽曲。
精力的にリリースし、CMにも登場し、徐々に知られていくものの上昇気流に乗れずにいた。アイドル愛好家たちのなかでは「可愛くて歌が上手いのになぜB級?」と声があがる存在であった。

●コミカル路線

「ヤッパシ…H!」(86/オリコン100位圏外)…松下電工「Love eye」CMソング。コミカルな振付
を披露。スカートに”H”と書いてあり、サビの最後に指さす。それを見た片岡鶴太郎が大爆笑したという。唯チャンは歌詞の意味もよくわからず歌っていたという。

「コンプレックスBANZAI‼」(86/オリコン100位圏外)…雪印「ヨーグル」CMソング。♪顔がダメでも男は愛嬌~と歌っていたが、面食いなんだそうだ。

●初のオリコン100位入り

「10月のクリスマス」(86/オリコン最高88位・0.4万枚)…前作に続き、雪印「ヨグール」CMソングとして流れた。デビュー時と比べるとグッと洗練され、しっとりした楽曲を堂々と歌い上げていました。初めてのオリコン100位以内に登場するものの、まだまだB級アイドル(涙)

86年、「スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇」主演に抜擢される。

宮崎訛りがひどく、ことごとくオーディションに落選していたという。3代目・麻宮サキ起用の理由は、今まで足かせになっていた宮崎弁だったという。
オーディション時には土佐弁で書かれていたセリフを宮崎弁で読み上げ、合格となった。

前作の南野陽子と同じく、このドラマ主演によって一気に知名度と人気を手に入れることとなった。

●「スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇」

「スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇」(86-87)…180年に一度現れる陰星と共に現れた忍者集団「陰」と戦うことを宿命付けられた、風魔忍者の末裔の物語。主人公は前作の三人組を発展させて三姉妹とし、ホームドラマ要素も加わっている。三姉妹は、「風間三姉妹」といい、長女:風間結花(大西結花)、次女:風間由真(中村由真)、三女:風間唯(浅香唯)。名前が”ゆ”からはじまり、なんとも語呂が良い!

●風間唯

風間三姉妹の末妹、宮崎では「九州にこの人ありと言われた大スケバン」を名乗る。育ての親である帯庵和尚から東京行きを命じられ同時に三代目麻宮サキを襲名する天真爛漫で一点の曇りもない純粋な心を持ち、何に対しても猪突猛進で取り組み、持ち前の根性で克服していく。
やんちゃなイメージの娘を探していたようで、オーディションでは「木登りはできる?」と聴かれたとのこと。木に登ったり、屋根の上を歩いたりして遊んでいたという唯チャンにドンピシャ‼
宮崎弁での「せからしか! わちが三代目じゃ! 」のセリフも決まってました!

87年には、主題歌「STAR」がオリコンチャートにてTOP10入りを果たし、人気音楽番組に登場。続く「瞳にSTORM」、「虹のDreamer」もヒットさせ、ランキング番組の常連となっていく。 後者では初のオリコンチャート1位を獲得。

時折、宮崎弁が出てしまうトークや小さなことに拘らない大らかなで少し惚けたキャラクター、151㎝程の小さな身体から発せられるエネルギッシュな歌声が受け、人気をさらに拡大させていく。

「スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇」主題歌

「STAR」(87/オリコン最高9位・8.2万枚)…オリコン100位以内に入るのがやっとのB級アイドルが、いきなりTOP10入り。人気番組「ザ・ベストテン」、「歌のトップテン」にもランキングされる。作曲はタケカワユキヒデ。
「瞳にSTORM」(87/オリコン最高4位・8.7万枚)…作詞・湯川れい子/作曲・井上大輔。2代目ナンノの「風のマドリガル」もそうでしたね。
「虹のDreamer」(87/オリコン最高1位・10.9万枚)…初めてのオリコン1位を獲得。
トップアイドルへの階段を駆けのぼって行き、それに比例するように、彼女は洗練され輝きも増していきました。それでも宮崎弁が出てしまう庶民的なキャラクターが可愛らしかったです。

番組後半には「スケバン刑事フェスティバル」を開催、また、風間三姉妹の名義でシングル「Remember」をリリースし、ヒットさせる。88年には、映画「スケバン刑事 風間三姉妹の逆襲」も公開となった。

●風間三姉妹「Remember」がヒット

「Remember」(87/オリコン最高1位・15.3万枚)…この楽曲の魅力は3人とも歌声がドラマのキャラクターとは違うトコロ。安定感があり力強い唯チャン、ブリッコ風歌唱の由真サン、そして、結花ねぇチャンの喘ぎ声のような艶やかな歌声(!?)
ベスト「Present」には風間三姉妹のシングルVer.と浅香唯ソロVer.が収録されている。

●映画「スケバン刑事 風間三姉妹の逆襲」

Belive Again」(88/オリコン最高2位・17.8万枚)…東映映画「スケバン刑事 風間三姉妹の逆襲」主題歌。TVシリーズはマイナー調の作品が続いたが、映画の主題歌はさわやかなメッセージソング。

「スケバン刑事」終了後も人気を維持し、88年夏にカネボウ化粧品のCMに出演し、CMソング「C-Girl」が大ヒット、続く「セシル」もヒットし、この2作が彼女の代表作となっている。

●「C-Girl」がヒット 名刺代わりの1枚に!

「C-Girl」(88/オリコン最高1位・27.8万枚)…「カネボウ’88夏のプロモーション」イメージキャラクターに起用される。そのCMソングも歌う。オリコン1位は通算3週。人気番組「ザ・ベストテン」でも初めて1位を獲得。彼女のいちばんの代表曲。ノリノリのポップロックを小さな身体で弾けるように歌う姿は爽快でした。彼女の特徴あるビブラートも存分に堪能できます。多少くどくなっていますが、それさえも個性ですよね。歌「C-Girl」の”C”は”ビタミンC”の”C”とのこと。

●「セシル」もヒット

「セシル」(88/オリコン最高1位・22.9枚)…フランス映画「悲しみよこんにちは」の主人公・セシルをモチーフとした、優しくも切ないラブ゙ソングを慈愛に満ちた歌声でしっとり聴かせヒットとなった。
元気だけでない女らしい一面をアピール。

 ドラマ「金太十番勝負」で田原俊彦と共演。また、TMネットワークの木根尚登が提供の「Melody」も話題となった。
人気アイドルとして大手企業のCMにもひっぱりだことなる。日本一忙しいアイドルと呼ばれ、中山美穂、工藤静香、南野陽子と共に「アイドル四天王」と称された。

「Melody」(88/オリコン最高2位・21.6万枚)…TMネットワークの木根尚登が提供した楽曲。サビで始まるノリのよい曲。
木根は2012年に発表したアルバムでセルフカバーしている。
この時期は、主演映画「YAWARA」のクランクイン、CM契約企業も増えた。歌番組の収録、雑誌の取材、そして年末年始の特番の撮影と多忙な日々を過ごしていたという。

●CM
ブレイク前

カネボウ(85,88)…SA-LA、マイルドコート、デバイス、Cファンデーション。杉浦直樹サンや江川卓サンと共演したこともありましたね。

松下電工(86)…ブレイク前にLove eyeという電気スタンドのCMに登場。

雪印(86-90)…ブレイク前からブレイク後まで起用されていました。ヨグール、とってもゼリー、フィオーリ、リセエンヌ。たくさんの美味しいものを紹介してくれましたヨ。

ブレイク後

沖電気(88)…「一等、げんき。」「一等、気があう。」のキャッチコピーでよく流れていましたね。同じ事務所の星野由妃チャンは「パコパコしましょ。」でしたね。

スズキ(89)…アルトをお勧めしてくれています。初めて買った自動車はアルトでした。唯チャンがCMしてたからってワケじゃないけど…。

AXIA(88-89)…「新しい浅香のAXIA」とても語呂がいいですね。

カシオ(89-90)STING、20バーログメモリーをアピール。

CMのイメージキャラクターに起用されたという測面から見ると「C-Girl」、「セシル」がヒットした88年ごろがやはり人気のピークだったかと思われますネ。

ドラマの代表作といえば「スケバン刑事Ⅲ」で決まりでしょう。CMの代表作はカネボウ「Cファンデーション」、雪印「とってもゼリー」、AXIAあたりでしょうか?

89年には、主演映画「YAWARA」が公開となる。
夏には自身最大規模の公演数となった夏のコンサートツアー(24ヶ所・50公演)を開催した。

「YAWARA」(89)…唯チャン以外には、阿部寛、竹内力、菅原文太、石坂浩二、小林桂樹、高田延彦、山口香、山下泰裕が出演していた。
スペインロケまでしまう力の入れよう。東宝、マイカルグループに加えて、スズキ、カシオ、ミズノ、雪印、小学館など大企業が協力している。人気がピークに達し、体調を崩しながらなんとか撮影をこなしていたという。

「TURE LOVE」(オリコン最高1位・17.4万枚)…4作目の1位作品。現在のところ、1位を獲得した最後の曲。主演映画「YAWARA」挿入歌。

「NEVERLAND 〜YAWARA!メインテーマ〜」(オリコン最高2位・14.9万枚)…主演映画「YAWARA」主題歌。

80年代後半よりバンドブームが到来。本田美奈子や菊池桃子、渡瀬麻紀などアイトドルのなかからもバンド活動を行うものも現れた。

「恋のロックンロール・サーカス」(89/オリコン最高4位・14.3万枚)…本人出演のAXIAのカセットテープのCMソング。AXIAのCMで大量にオンエアされ、彼女の楽曲のなかでは、比較的知名度が高いと思われる。
♪カモーン、カモーン!
♪c・i・r・c・u・s c・i・r・c・u・s 恋のロックンロール・サーカス!と耳に残る。喉に負担がかかりそうな歌い方が気になるが…。
この曲以降、当時流行っていたガールズ゙バンドの雰囲気を醸し出す作品が続く。

この年、バックバンドのドラマーの西川貴博(THE KIDS)との交際が発覚し、写真週刊誌に掲載される。事務所は即座に釈明会見を手配するが、浅香は「お付き合いしています」と交際宣言をした。

彼女を取り巻く環境が変わってきていた。

「DREAM POWER」(89/オリコン最高3位・ 9.2万枚)…この曲から売上が10万枚を割り込んでしまう。この発売の前後に、西川氏との熱愛が発覚し、恋人宣言をしたことの影響か?
「Melody」以来の明るい爽やかなアイドルポップスであるが、
ヒョウ柄の衣装がなんとなくSHOW-YAを彷彿とさせる。アイドル冬の時代到来という時期で、次の展開を模索していたのかも…。

●交際宣言…事務所からは「大人だから分かっているような?」と言われ、本当のことを話すのが大人の会見と思ったという(笑)ヤレヤレ…事務所は大慌て。しかし、実に唯チャンらしい解釈の仕方ですねぇ…。交際のきっかけは、ファミコンのスーパーマリオの100UPマリオをしているところを見て、「教えて頂けませんか?」と家に招いたということを後年語っている。

アイドルを歌よりもトーク、司会やアシスタントでTV出演させることも多くなっていた。お笑いに走るバラエティーアイドルも登場し、アイドル以上の人気を獲得する者も。また、水着姿で活躍するグラビアアイドルが勢いを持ち始めたのもこの頃。

また、レコードからCDへの移行期であり、レコードが売れない時代であった。また、音楽のジャンルも細分化され、ランキング番組の上位に進出したり、賞レースに出場していても大衆に認知されないヒット曲というもの存在するようになった時代。

そんな流れもあってか、89年「ザ・ベストテン」、90年「歌のトップテン」、「夜のヒットスタジオ」が終了。

音楽番組を主戦場としていたアイドルは冬の時期に突入し、多くのアイドルが売り上げを落とす。彼女も例外でなく、その一人であった。
アイドル四天王では、工藤静香だけが「恋一夜」、「嵐の素顔」、「黄砂に吹かれて」とヒット曲を連発。

90年になると音楽活動に専念すると発表。CD制作やライブでの音楽活動が中心になる。 自作曲のリリース、ライブもアルバム曲中心で、かつてのヒット曲は少なめ等、今までとは趣を変えた。

「Chance!」(90/オリコン最高7位・ 5.9万枚)…アーティスト路線へ向かい、衣装も鮮やかなフリフリではなく黒の革ジャン。バックバンドをを引き連れて歌う姿は、リンドバーグ?

「ボーイフレンドをつくろう」(90/オリコン最高10位・ 4.5万枚)…最後のオリコンTOP10入りを果たした楽曲である。

ここら辺でアイドルとして一旦区切りをつけ、アーティスト路線へ向かった。
新しい道を歩んでいた…

浅香唯②につづく


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